東へ本日は、アンコールチケットが有効な期限が最後の日だった。 その入場券で可能な限りの史跡を踏破しようと、最後に攻めたのが 「ロリュオス遺跡群」だった。国道6号とロリュオス川がクロスする 位置にあり、市街地からは東に15km程の距離だ。かつては、古都として栄えた土地であるが、 現在は小さな村がある程度で、観光以外の産業は根付いていないようだ。 |
現在、見学可能に整備されている史跡は (ロレイ)(プリア・コー)(バコン)あたりになる。共に創建は790年頃と古く、この 一連の遺跡群を中心に、ロリュオス王都が布かれていた。アンコール朝の興りと同時期に 造られた都城で、王朝の曙と いえる場所だ。日本で喩えるなら、アンコールワットを中心とした周囲を含めた 延べ地域が 京都、ロリュオスが奈良、と言った感覚になるだろう。 早速、トゥクトゥクを手配する。日が昇れば、シェリムアップ 市内なら何処でもチャーターするのは簡単なことだ。早朝の苦労とは大違いだ。 適当に歩き、本日は4桁番号の明記 してあるジャケット制服を着た、組合由来の 正規ドライバーを1dayで雇うことにした。 6号沿いに、もう1つベンメリアという、ナーガの像が沢山ある史跡も行ってみたかった ので、午前はロリュオス、午後はベンメリアに行ってくれと頼む。 『OK!その前にチョッと寄って欲しい所があるんだ』 彼の運転するトゥクトゥクは、 6号を東に走り、市街から少し離れた民家の並ぶ土道を入っていく。 赤茶けた土の小路沿いに バラック屋根の小さな 店があり、少女が軒下に座り留守番をしていた。 水たまりを避け車両は止まった。脇を見れば、 門前にワインビンが段々に20本ほど並び、中には の黄色い液体が入っている。飲み物ででは無いらしい。 |
馴染みの店らしく、ドライバーと少女は親しげに話し、手馴れた手付きで用事を 片付けていく。ビンの蓋を開け、 漏斗で内容物を男の用意した容器の中に注いでいく。 どうやら、ガソリン屋のようだ。 満ちた容器を、バイクのガソリンタンクに注きこんだ後、ドライバーは おもむろに私の座る客席シートを上げた。シートの下は、実は収納ボックスになっているらしく、 水や、男の弁当、読み物などが乱雑に入っている。 余った分のガソリンボトルを突っ込み、準備万端といった満足そうな表情になる。 男は運転席 に戻り、キーを捻った。さあ、出発! なにせ、ベンメリア は、ここからさらに50km近く東に位置している遠方地で 、道中の国道6号もGSが無いような辺鄙な農道 に化ける。よって、予備のガソリンが常時必要になる背景があるのだろう。 『さあ、レッツゴーだ!』 掛け声を共に、車体は勢い増して東に走り始めた。 ロレイトゥクトゥクで30~40分もあれば ロリュオスに到着できる。この付近までの6号は、比較的綺麗に整備されている。 ロリュオスまでの 6号沿いにはゴルフ場もある 。「シェムリアップ・レイク・ゴルフ・リゾート」は日本人の設計したコースで、 施設設備や食堂も日本人好みに造られているらしい。根本的に6号 のインフラ 整備したのは 日本であり、この辺からくる現実なのだろう。 |
ロレイは6号の道路を挟んだ、北に位置している。小さな敷地に 4本の祠堂と中央にリンガを有している。治水技術を冠する 施設であり、中央リンガにクロスした 水路のような象徴の石線が走っている。 |
もともとはバライの中央に位置しており、浮かぶ島 の様な外観をしていたという。創建は893年のことで、ヤショーヴァルマン1世 が建てた。このバライはインドラタターカと呼ばれ、完成当時は最大の灌漑湖であった が、今は干上がっている。 |
祠堂には金剛像やデバター像が彫られているが、創建が 古く、素材もラテライトが主であったので、部分の祠堂崩壊が激しい所もある 。現状での修復と は、全崩壊しないように塔を縄で取り囲み、締めあげる方法が手一杯 のようだ。このような暫時的な修復に成らざるを得ない遺跡は、アンコール一帯には 山ほど存在する。 |
祠堂の脇にワット・ロレイ寺院があり、朝から住民の参詣 が欠かない。 プリア・コープリア・コーの魅力は、可愛い牛達のオブジェだ。 所在は、6号を挟んだ南に位置する。正門から3体の聖牛ナンディン が迎えてくれる。シヴァ神の乗り物であるという。 プリア・コー遺跡の名前も「聖なる牛」という意味をもっている。 |
寺院の創建は、879年のことだ。当時は水を張った 環濠を有し、周囲の最大経は500×400mの大型施設として完成し、中央の 塔壁は白く 輝いていた。アンコールワットやトムの様に、後年、 砂岩で彫刻を施す技巧が生まれる前は、ラテライトやレンガの荒削りの上に 白の漆喰で壁を塗り固める方法が主流であった。主成分の石灰に経年的な耐久性がないので、 ボロボロ剥離し、現在は見る陰もない。 ロリュオス一帯の建築様式は、総じてプリア・コー様式と呼ばれている。 |
創建の意味合いは、インドラヴァルマン1世が、先王のジャヤヴァルマン2世の御霊を 弔うことを目的とした。この後、アンコールの代々の王達は、先代が死ぬと 供養塔の意味合いとして寺院を創建していった。その、習わしの創始寺が、このプリア・コー になる。尖塔の壁に、その先代の像の面影が残っているという。 政治的、国威的 な意味合いで、王が宗教色を全面に出して寺院を建築するのは、まだ先の時代のことだ。 |
単純な石積による建築が成り立つアンコール遺跡でも、ごく初期の 建築は 屋根を付けることは難しかったようで、その部分だけは木材で代用していた。 後年は、迫り出し構造という、中央に向け段々に石材を架ける技巧を駆使し、 石積の屋根を築けるようになった。 バコンバコンの魅力は、可愛い象や獅子達のオブジェだ。 プリア・コー遺跡の脇の道を更に南に進む。正面向かって土道の、右に 仏教寺院、左に小学校がある。 |
創建は881年のことだ。中央祠堂の4角に象のオフジェが3×4の 計12体、4辺に獅子のオフジェが8×4の計32体ある。 |
ロリュオス王都の中心として造られた、5段の基壇により成る ピラミッド型の建造物で、 大きさは 900×700mとロリュオス遺跡群のなかで最大を誇る。 ここの人工山も、ワットやトム同様に基本的には須弥山を模した意味がある。 |
ロリュオス王都の周囲にも、大小様々な史跡が点在している。 最初に見学した、北上のロレイ、6号を挟んだプリア・コーとバコン、そして プラサットモンティーをいう寺院は、ロリュオス川からの源泉をもとにしたバライ (インドラタターカ)を伝った環濠で繋がっていた。 従って、 バコンの1つ下のプラサットモンティーという寺院も、 ラテライト周壁に水を湛えた、堂々とした大伽藍の 建造物だったに違いない。 駐車場に戻り、 ドライバーに地図を指して、南へ行ってくれと頼むと、 『アアン!?プラッ,プラサット...ああ、あそこか。small temple観る価値ないよ』 「そうか、わかった」 午後からは、ベンメリアに行くんだろ?50kmもあるんだから、先を急ごうぜ。 男は身振りを交え、話を続ける。 そんなことよりも大事があるんだ。と、今度は天を仰ぎ両手を突 き出す仕草をして見せた。 『雨が降るな・・・スコールだ』 |