生きてる事が功名か

   最終日は、アンコールチケットも期限が切れており、 午後に空港までの送迎車が来る事になっていたので、 徒歩で履行できる範囲のシェムリアップ市内観光をすることにした。 半日程度の時間なら、南のワニ園と、北の国立博物館、 あたりが一般的だ。


シェムリアップ市内 シェムリアップ川



クロコダイル・ファーム

    シェムリアップ川の護岸沿いにある道路を南下する。しばらく歩くと、鉄柵の 構えた門前に辿り着く。チケットに日本語が書かれていたので、日本傘下の 施設かと思ったが、運営はカンボジア政府が行っているようだ。


ticket Crocodile Farm



   飼育個体は 千匹を数えるそうだ。昔はトレンサップ湖に沢山いたようだが、皮をとる 目的で乱獲され、現在はほとんど野生の個体はいないとのこと。


1才槽 1才槽 2〜3才槽 2〜3才槽



    子供のワニは、とても小さくて可愛い。2〜3才くらいに成長すると目付きに凶暴さの 片鱗が出ていた。成人槽の大きさは 非常に大きく、ウジャウジャと重なりある様にいて千匹という数は誇張でないのがわかる。


成人槽 成人槽


クロコダイル・ファーム  シェムリアップ   Siem Reap Crocodile Farm




   別途の料金で、 生け餌の残虐ショーも行われるようだ。


成人槽 成人槽 成人槽 成人槽



『あら、素敵な殿方・・・寄っていかない?』

「ウム・・・ジャマさせてもらうおうか」



   敷地内の一角に小さな売店がある。店主のレディーに呼止められ 入店する。 中はワニに関する商品のオンパレードだ。



売店 売店



「この剥製はいくらだね?」

『200$よ、なめし皮が180$ね』

「Too expensive !」


売店 売店



思わず胃酸が逆流した。
「・・・え〜と、もっとエコノミーな商品はないもんかね」


『アタイが、アンタにピッたしの商品を選んであげる
見て!これは牙に細工が施してあんのよ。30$ね
きっとアンタに似合うわ〜』


売店 売店



「う〜ん、もっともっとエコノミーな商品はないでしょうか・・・・・」

『いくら出せんの?』

「1$」

『ウフフ・・・アンタ、日本人のわりにはミミッチイわね。
そんな低額商品はウチには置いて無いけど、
これ、これが2$ね。アンタにはコレがお似合い!』



脱落歯 脱落歯



「なんか随分、ちっこいな。子供の歯か?」

『Non non !ちゃんとしたアダルトのワニ歯よ』





アンコール国立博物館

    シェムリアップ川の沿線道路であるコポンゴー通りを北に進むと、 アンコール国立博物館がある。シェムリアップ市内では最大、最多の展示量を誇り、 調査や修復の際に発掘された、像やリリーフなどが陳列されている。 2007年のオープンと比較的近年の営業開始で、建物も立派で綺麗だ。


アンコール国立博物館 アンコール国立博物館 アンコール国立博物館





キリング・フィールド

    そのまま、通りを2kmほど進むとキリング・フィールドに行き着く。寺院の敷地内に あり、付近の住民が往来している姿がある。シェムリアップ界隈でも、 過去ポル・ポトの虐殺 行為は及んだようで、正確な人数は不明だが、その犠牲者は数千人に上るとみられている。


キリング・フィールド キリング・フィールド キリング・フィールド



   卒塔婆の脇に 掲示板があり、そこに沢山の写真が貼ってある。かなりショッキングな内容だ。 トゥール・スレン虐殺博物館で有名な 鎖枷のついた鉄パイプベッドの写真、そして 白骨化した死体の山、犠牲者達の顔写真、飢えた子供達、 歴史の変遷を撮った数々の象徴的ショット、とさらに政権中心人物達の顔写真が並ぶ。


キリング・フィールド キリング・フィールド キリング・フィールド



   掲示板の前で、数人の近所の住民が腰掛けて話込んでいた。


    「Who is Pol Pot?」


    訊ねるやいなや、一斉に全員が1枚の顔写真を指した。


Pol Pot キリング・フィールド キリング・フィールド



    ポル・ポトの本名は、「サロト・サル」といい、出生に関して言えば カンボジア王室とは遠戚関係であったという。 フランスに留学したのを機に共産主義者になり、 クメール・ルージュの党結成に参加する。1951年のことである。 クメール・ルージュ(紅きクメール人)という党名で、民族意識を全面に出し、 帰国後は、教師として働くかたわら 政治活動も積極的に展開していった。



    1975年には、ほぼクメール・ルージュの党首の地位にあったポル・ポトは 首都プノンペンを占領し、その後、すぐに市民200万人を大移動させている。 無人の 廃墟と化した街の風景は衝撃的だ。彼らは、集団農場へ強制移住させられ、そこで 原始的な生活を強いられた。その中で、 独裁者が掲げる 理想国家の建設に不必要な因子である、政治家や思想家は悉く粛清されていった。 インテリ層、知識階級という指標 だけで判断され捕らえられた後、拷問の挙句に多くの国民が虐殺されて いった。中には、メガネを掛けているだけで 殺された者もいたという。



    1979年、ベトナム軍のカンボジア侵攻により党員はジャングル奥地に離散し、 初めてクメール・ルージュの凶行が、世界の白日の下に晒された。 この3年8ヶ月という短期間で殺された自国民は、200万人以上にのぼり、 国民の3割にあたる。 今でも各地にある収容所に穴を掘れば、人骨がゴロゴロ出てくるという。 虐殺数の正確な値は未だ判明していない。



    1998年、タイ国境に近いジャングルでポル・ポトは死亡した。死体は ガソリンをかけられて古タイヤと一緒に燃やされた。 未だに、ポル・ポトや政治の話はカンボジアでは禁句中の禁句であるらしく、 周りにいた数人の男達も、知らない間に居なくなっていた。




ポル・ポトのデスマスク キリング・フィールド キリング・フィールド





   キリング・フィールドを折り返し、南に下り1kmほどの距離、 ジャヤヴァルマン七世病院の裏に、戦士慰霊塔がある。西洋庭園の様な 造りと、ナーガが中央より4体かまえる池がある。




戦士慰霊塔 戦士慰霊塔 戦士慰霊塔



    敷地の奥には壁全面に戦死していった 兵士の名前が刻まれてある。4列、男女含め階級別に8836人分ある。 碑の建立は2002年とのことだ。


戦士慰霊塔 戦士慰霊塔 戦士慰霊塔





ピカッ、ゴロゴロ〜ゴロゴロゴロ〜
突然の雷鳴が響く。







最後の洗礼

    ここにきて最終日、最後の最後にスコールの到来だ。今日くらいは雨の心配も 無いだろうとサンダルとラフな格好で出かけてしまったのが運のつき。ホテルまでは 相応の距離があり、短時間集中豪雨だとしても 歩いて帰る間にズブ濡れになるのは自明の事実だった。手っ取り早く トゥクトゥクを掴まえるか・・・


シェムリアップ市内 シェムリアップ市内



    雨を避けるため、一番近くに路駐してあったトゥクトゥクに乗り込む。 料金交渉なんかいい、兎に角、濡れたくないと客席に滑り込むように飛び込んだ。 すると吃驚。 手摺の端と端にハンモックが掛けてあり、少年が熟睡している。 運転手は笑いながらいうのだ。



『マイベイビーだ』




Tuk Tuk Tuk Tuk



   オッオゥ・・・取り敢えず サリーナ・ホテルまで行ってくれと頼む。すると、ドライバーはおもむろに傘を開きはじめた。 器用に片手で傘を持ち、片手でスロットルグリップを握り、そして、向かい風に逆らうように 横殴りの 雨矢をビニール製の盾で受け、平然と涼しい顔のまま運転を続ける。 反対車線からは四駆の大型車が水飛沫を あげ、車体の脇をかすめる。



『No problemだ』

「いや、問題大有りだろ!」


squall シェムリアップ国際空港



   旅行企画会社の計らいで、ホテル滞在を レイトチェックアウトにして もらっていた。この時ほど、 会社のスケジュール計画を有難いと思った時はなかった。ズブ濡れのまま 飛行機に搭乗していた可能性もあったかと思うと今更ながら、空恐ろしい気分になる。



   ホテル到着後、熱いシャワーを浴びて、ロビーにて送迎を待つ。 定刻通りにワゴンが到着し、派遣された若い男は私を丁重に 引率する。山本日本語学校卒で日本語での意思疎通もバッチリ の社員だ。ホテルから空港まで、30分もあれば到着する、その車内の後部 座席越しに流暢な日本語で色々と問いかけてくる。



『どうでしたか、アンコールワットは楽しめましたか?』

「ええ、市内のメジャーな観光地は大体行ったと思いますよ」




   男に踏破した史跡の数々を披露してやった。チョッと 得意気な私。



「ここ、シェムリアップ界隈に関してなら、
兼高かおる並に詳しくなったでしょうね、ハハハハッ」

『そんなことナイですヨ』

「ぬぁ〜に〜」



   何でも彼の説明によれば、1ヶ月近く の長きで連泊したり、毎年必ず渡航して来る馴染みの旅行者など、 《根っからのアンコールワット好き》という人間が存在するのだという。 私は、まだまだヒヨっ子。アンコールワット1年生ということか。 しかし、このアンコールワットとは、古今東西、 人々の慕情を引きつけて止まないグローバルルーインなのだ、と改めて感心する。


    空港で諸手続きを済ませると、夕刻近くになっていた。 タラップを上がリ指定の座席に座った後は、経過時間からドンドンと 闇夜が広がり始めているのがわかる。離陸すれば、もう 窓下から密林と大伽藍を確認することは、不可能な時間帯だろう。 ギュイーーーン



「take off・・・」



    車輪が格納され、轟音と共にVN−800がシェムリアップの平原を離陸していく。 諦め切れず機窓を覗いてみた。やはり、目下は黒い色彩で覆われ、もはや西バライさえ再見するのは 叶わない。ああ、溜息混じりに思う。今生の別れか・・・否、また来たい。 ああ、また来たいなアンコールワット。




postcard




   ゴー・・・、安定した高度飛行を続ける飛行機の 座席に、改めて深く腰を落とした。そして眦を閉じる。 網膜が描く暗澹のビジョンに去来する情景に、一瞬の光が舞った。 明光の都、桃源郷、が鮮やかに甦る。その中で一節の詩を心の中で詠むのだ・・・





ことの起こりは混沌たる流れにあり。
そのものに善悪の概念なく、
ただ力、流るるのみ。
力は森羅万象に及び、創世の源として
神々の世界へと舞い上がる。

〜クーブラ・カーン〜




見よ、汝の前に迷宮が広がる。
この明光の都こそ
かつて数百年の昔に隆盛を誇りし
偉大なる王の遺産なのだ。


(Revival Xanaduより)




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