生きてる事が功名か


ユイシン ユイシン


灼熱

    ユイシン:建国門外大街24号
<辛い四川料理にあって激辛メニューに定評あり>
<辛さに自信が無ければ唐辛子は食べない方が無難>


    ユイシン京秦店は建国門のホテルから500mほど東の位置にある。 地下鉄1号線に沿った直線大通りで「建国外大街」とよばれ、 付近は企業ビルや、商店、銀行、 飯店も多く建ち並び、大変便利な通りだ。ユイシンはこの通りの南の 少し奥まった場所にある。高級ホテルの階上であるので 、正門はやや大回りに迂回進路を取らなければ辿り着けないようだ。


店前では、チャイナドレスの美女がお出迎えだ。ウヒョー!!


『ご注文は?』
「とりあえずビールと、チャーハンをもらおうか」


高級食材の頁をすっ飛ばし、メニュー表の巻末から見開く
「それと、この糖酢排骨と、麻婆豆腐を持ってきてくれたまえ」


糖酢排骨 糖酢排骨


   糖酢排骨は豚骨の甘辛煮といったところだ。 ビールでチビチビやってると、その後すぐにウエイトレスが炒飯と麻婆豆腐 を運んできてくれた。


『ごゆっくり』


    彼女はスリットの入ったチャイナドレスで身を翻し、通路を颯爽と去っていく。 美の追求するバルログ(Balrog)が春麗(Chun-Li)に異常な執着を燃やす気分が 痛いほどにわかる・・・・・・。いかんいかん、私の戦いは始まったばかり。 感傷に浸っている余裕はないのだ。


    改めて、盛られた皿を覗き込む。煉獄界の極色彩を連想させる、その紅蓮の炎は、 視覚野の過剰な刺激により、交感神経を亢進し三叉神経の閾値を下げ 、既に顎下腺管開口部を極限まで拡大させている。 腺の過剰な唾液分泌により口腔前庭の堰を超え 、慮外に端たなくもダラダラと唾液が外部に滴り落ちている始末なのだ。


炒飯 麻婆豆腐


    レンゲで一掬いを口に放り込んでみる。 ゴホゴホゴホゴホッ、一塊が食道を通過した途端に強烈な咳反射 の誘発だ。 酩酊といかないまでも事前のアルコールが、ある程度咳反射の中枢を麻痺させている はずなのに、ここにきて異常な体内反応だ。唾液、水溶性鼻漏、汗、涙、食渣、あらゆる 体内物が逆流するのがわかる。体表の穴という穴から、それらが噴出するのだ。 通行路を挟んだ卓から、現地民がニヤリとした眼差しを向けている。


『ブヒャヒャヒャヒャ、リーベンの兄ちゃんには無理無理!』
そう言ってるような嘲笑の眼差しだ。


『お前には早すぎ、冷奴でも喰ってろよ!』
「おのれ!」


    ここで、おめおめと引き下がったとあっては、今後の訪中観光客達にも 申し訳が立たない。 負け犬の如くに日本へ帰国することは道義上でも有得ない。 是が非でも、この麻婆豆腐を完食しサムライスピリット を啓示せば!
    そして、何よりも若月先生(女教師)の徒労と、彼女が私に賭けた嘱望 を無駄に帰する事は絶対に許されないのだ。 ここに至りては 国を超えた、否、それ以上に私個人の人生の有義性と真意を、そして、 自我の確立をも左右する瞬間、宿命(fate)的岐路の置換でもあるのだ。 何としても、残すわけにはいかない。


バクバク、ゴホゴホゴボゴボゴホゴボホ!!
「もう、辛いっていうレベルじゃねぇぞ!」


卓前の男達も、やや改まった表情ながらも憐れみの目で言うのだ。
『くにへ   かえるんだな。   おまえにも    かぞくがいるだろう・・・・』


ユイシン 御馳走様


   ふう、何とか完食できた!もう、思い残す事は何も無い。 深く眦を閉じる。網膜が描く暗澹のビジョンに 去来する中華の情景は、儚く霧に霞んでいく。代わりに、 望郷の想いだけが胸を焦がしていった。そんな夜だった。



帰路

   帰国当日の朝、荷物をまとめ早朝5時半にロビーで待つ。待つ、待つ。 10分、20分、30分・・・・こない。

    おっかしいなぁ〜、1日間違えたかな?いや、そんなことは無い。腕時計を見れば 間違いなく、指定の時間5:30、指定の曜日SUNを指している。 それから更に10分が 経過した6:10。彼は果たしてやってきたのだ。


『いや〜、スイマセン。道路が渋滞しちゃってて』
「・・・・・」


   だいたい、日曜日の朝の5時に道路が渋滞すんのかよ。 問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。


『さあ、車に乗って。急いでください!』
「・・・・・」


    案の定、道路はガラガラ状態で私を乗せた車は、とんでもない速度過多で 一般道を爆走する。


『北京は楽しめましたか?』
「ええ、もっと行きたい所があったんですけどねぇ・・・」
『北京を楽しみ尽くすなら、1ヶ月はかかりますよ』
「ほう」
『毎日、史跡や廟を1日1コ観て廻るんです』


    なるほど、彼の言う様に暇があればそんな時間の過ごし方もいいな。 孔子廟、盧溝橋、 北京原人館、胡同の三輪車ツアー、魯迅博物館、功夫雑技団、 京劇観賞、少し足を伸ばせば天津へも日帰り観光が可能だ。 考えてみれば、 観たい所、やりたい事はまだ沢山あった。 日本人には、やはり時間がいくらあっても足りないな・・・

    そう、時間は足りないのだ!JA860は8:25に離陸だぞ。間に合うのか? 空港での出国の諸手続きを含めても、かなり時間が差し迫っているのは確かなのだ。 焦りまくり、何度も腕時計を覗き込む 私の姿を傍観しながら、ガイドは両手の掌を 開いて地面に向け、左右に大きく振って、言ってみせるのだ。


『まだあわてるような時間じゃない』

「・・・・・・・・・まるで成長していない」


その後しばらくして、一応、空港には無事到着した。
『では、お元気で!』


    男と固い握手と抱擁を交わし(何でもカンでも握手で済ませるな!><)空港の 入り口ゲートをくぐる。急がなければ本当に間に合わない。スーツケースを引っ張り ながら出国審査のカウンターを目指す。


「はうあっ!!」


   とんでもない行列だ! そこには、文字通りの長蛇の列が待っていた。 設置線をはみ出した、その最後尾に 並ぶ。付近のグループの会話や発音から察するにも、この列は間違いなく日本人の ものだ。女性ばかりのその列を見れば、ロゴの入った団扇やタオルを片手に 早朝からテンションが高く、熱気を帯びているのが分かる。ピーン


「はっちゃけた!!」


    ああ、そうか!この列の殆どはスマップの 北京公演に行った人達なのだ。そう、そう、道理で北京動物園のパンダ館が 日本人で溢れかえっていた訳だ。公演ついでに一緒に観光ツアーする一行だったのだろう。 それにしても、すごい行列だ。最後尾に付いて、果たして本当に間に合うのだろうか? この時ばかりは、本気で心配になった。


いっそげ〜! いっそげ〜!


   何とか搭乗に成功!離陸の15分前、 本当にギリギリだった。最後に記念写真を1枚パシャリ。 特徴的な管制塔だ。


北京空港


   成田到着の時間は、昼の1時近くだった。 ホッと胸を撫で下ろす。 タラップを降りると9月の残暑が熱風を運んできた。むせ返るような暑さだった。 本日、現地中国では早朝にジャケットを羽織っている人を見たのに、 もう海を挟んだ日本にあっては暑さを感じる。そこには 確実な温度差があった。



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