企画会社の日程はホテルを午後3時に出発とあった。
無計画に動き回っては、時間に間に合わないだろうとの万一の危惧もあり、
市内でも比較的近場の
土産屋が並ぶハーン・ハリーリに行くことに決めた。調度よく、ハマダの
爺さんが空いているようだったので、ドライバーをしてもらうことにした。
パピルス「みやげを買いたいのだが」『エジプトの土産といえば、パピルスしかないぞ、フォッフォッフォ』 「ぱぴるすぅ〜!?」 パピルスは、ナイル河の水辺に繁茂していたカヤツリグサ科スゲ属 の植物で、古代における紙媒体の最たる物だ。英語のペーパーの語源でもある。 中国から紙の製法が伝わるまで、印記用途として古来より様々な時代を通し 生産され、公文書や輸出品としても使われた。植物自体はいかだや船などの 材料としても常用されたようだ。印記用途のパピルスの製法とは、 茎の繊維をクロスさせて、織物のように丹念に重ねた工法であるので、強度も 本物は丈夫であり、引き千切ったりしても破けることはない。 上質なものは神聖とされ宗教的な書物に使用され、 位置付けとしても、かなりの 高級品であった。 現代でもパピルスといえば、 国を代表するみやげ物の1つであるが、やはり本物、偽物と存在するようで、 偽物は左右に引っ張れば簡単に裂けてしまうそうである。 『ハーン・ハリーリなんぞは偽物しか売っとらんぞ』 「ほう」 『本物が欲しいなら、いい店を紹介してやろう』 |
ギザのスフィンクスのある、裏門エリアにその店はあるという。 ハーン・ハリーリに行く前に、そこに寄り道してもらうことにした。 その名も『パピルスミュージアム』 ミュージアムとだけあって、店内にあるパピルスの数は 膨大なものだった。大小200〜300点はあるだろう。デザインも ピラミッド、ファラオ、古代エジプトの神々と多種多様で、 コプト教関係のキリストを描いた物もある。 規格も様々、その分お値段も様々のようで、 大型画になると桁が2つも3つも変わってくる。 一見しても細密さや、強度の面でも本物なのだろう事は予見できた。 下記左写真の空欄の部分には、ヒエログリフ文字で自分の氏名を 印記してくれるサービスもある。処置の間、時間 にして15分くらいの待機時間だが、無料のシャーイ(お茶)が振舞われる。 待っていてもいいが、数々の展示品を見て廻るのも楽しいものだ。 さすがミュージアムと冠するだけある、この館内で1つの観光になりそうな ぐらいの展示量で、 長居していても飽きない。各種カードも使えるお店で、 高級店という位置付けなのだろう。 |
ハーン・ハリーリハーン・ハリーリは各種土産物店が立ち並ぶ、カイロ 観光における一大スポットだ。 ムイッズ(Muizz)通りの脇に位置しており、イスラーム地区で の観光と一緒にしたほうが効率はよいだろう。 当区の東500m、アズハル大学の脇に大型駐車場があり、ドライバーは そこに駐車し車の中で 待機する流れが多いようだ。爺さんを1人残しハーン・ハリーリを目指した。『ゆっくり見てこいや、ワシぁー昼寝としゃれ込むわ。フォッフォッフォ』 その歴史は古く14世紀には 市の原型が出来ていた。エジプトの土産物は、パピルスのほか、香水ボトルが有名だ。 その他、水パイプや金属製の 皿や調度品などがあり、それぞれに専門店化しており、単純にウインドウショッピング をするだけでも楽しい。 よく目にしたのは 下記写真のピラミッド型の文鎮。1つで十分だと、バラ売りを催促するものの、 これは3ピースセットのみの販売と譲る気配は無かった。 クフ、カフラー、メンカウラーの三大ピラミッドに肖った商品であり、 あらゆるエジプト観光地の土産屋に置いてある。 |
その後、ホテル到着は 午後の1時であった。 空港まで引導してもらえるドライバーの再来までは、まだ2時間くらい空く計算だ。 色々と私に手を焼いてくれた、ボーイも今は居ない。聞けば、この日は 半ドン上がりで帰宅してしまったという。ロビーでズンッと長ソファーに 腰を落すも、落ち着かないものだ。付近のホテルマン達も、忙しそうに 自分の業務に手一杯で、私に気を止める暇人は居ない。 「徒然だな、慰めに屋上で時間を潰すか」 ああ、悠久再びに屋上に登り、3大ピラミッドを望んでみる。 その大建築は宇宙からも確認出来るそうである。 地球が自身で回転し、そして公転する、その軌道上に四角錐の先端が 鍵穴に入るが如くに、同じ場所に 寸分狂いのなく合致する、その周期、 一年というサイクル。これを実に4500回も 繰り返してきたのだ。古来よりほとんど外形が崩れていないこの奇跡の鍵は、 まさに人類史上の途方も無い、人智を超えうる存在なる金字塔。 過ぎ往く歴史の絵巻、1頁1頁を見届けてきた実績に 驕ること無くなお、その場所、ギザの台地に不動する。 その巨石塔の周りを、沢山の観光客や、参拝者が、ファラオや王達が、ナポレオンが、 歩いては去っていった。その偉大な先人達は 踏地した証を残す事は叶わなかったが、 それでも尚、この巨大モニュメントは大概の造型を崩さず に此処に建ち続けた。そして、おそらくこれからも・・・・ かの、クレオパトラにして、 『それはもう、其処に在った過去からの遺物』と言わしめた大遺跡。 私が居た、たった7日間に措いては、この4500年もの気の遠くなる様な ピラミッドの歴史からすれば、目を瞑る程度の一瞬の時間、にしかならないだろう。 |
「ああ、悠久・・・・お茶をもらおうか」 独り感慨深く、想い馳せながらレストランで1杯の紅茶を頼んだ。 ウエイターが運んでくれた、白いカップを片手に、ピラミッドを前に椅子に腰掛け 独り寛ぐ。昼間は観光客がホテルに居るわけがなく、2時間もの間この屋上は 私の貸切状態だ。何と云う贅沢な時間か! 椅子に腰を沈めるも、やはりまた直ぐに立ってはカメラを構えたくなる。 人の心を引き付けては止まない、その不動のフォルムは、世代や時空を 越え人々に同様の感慨を喚起させるのだろう。 私の、座っては立ち、 座っては立ち、の繰り返し小市民劇場が従業員を思わず苦笑させたようだ。 柵をフッと覗き込むと、面前に森が広がっていた。 「あれはなに?公園ですか?」 『プライベートガーデンだね』 こんな超一等地に広大な敷地を持っているなんて、スーパーVIPだな。 見れば内部に舗装路や、高級車が停めてあった。羨ましいなぁ〜 従業員は、人懐っこく笑った。手を開いたり閉じたりのジェスチャーをする。 どうやらマッサージをしてくれるらしい。肩を揉んでもらった。 ここの人達は本当に面白い人ばかりだった。ボーイやチャータードライバー、 小店の店員、コックに至るまで、設備のポンコツ振りに反比例する 献身さで、私に接してくれた。 ああ、言葉に尽くせぬ礼辞がある。彼等以外にも、 いや総じてエジプト人という範疇として、そんな言葉を掛けたくなる。そう言わしめる のは、結局はその国民性から来るものなのだろう。 時計の針は14時50分を回った。 「時は来た!それだけだ・・・」 さらばピラミッド さらばエジプト 家に帰るまでが遠足定刻通りに、ガイドと送迎車が到着。カイロ国際空港まで 無事送り届けてもらった。帰国路に至っても、あの長時間フライトが待っているのだろう、 と思うと若干気が重くなった。またまたに、長時間睡眠の敢行である。ドバイ経由のエミレーツ航空の3列シート でぐっすりの睡眠。目が醒めれば時刻は午後の5時だという。 成田到着から、タラップを降りると 日本らしい冷んやりした11月の風が頬を駆けた。木枯らしだろうか。 余計に、本国に帰ってきたんだという実感が伝わってきた。 |