生きてる事が功名か


   アテネの発展は、スパルタの存在と競合なしには語れない。 世界初の本格的民主政治がアテネであれば、僭主政治と軍事政治の権化というべきが スパルタであったといっても過言でないだろう。 ポリス同士は牽制し合い、時には協力しながらも互いに 都市機能を充実させていく。


アテネとスパルタ ギリシャの兜




アテネとスパルタ


   ポリス「スパルタ」の 僭主政治といっても、前9世紀頃にペロポネソス半島に侵入してきた ドーリア人が、土着のアッティカ人を武力支配するかたちで始まった。 被支配者のアッティカ人はへロットという奴隷身分になり、その上に ペリオイコイという外国人身分をおき、ヒエラルキーの最上部に自身の ドーリア人をおいて、圧倒的多数を占める下層の人間を支配する 階級制度を布いた。 当然、ドーリア人と奴隷階級には、明らかな 発言権や生活水準に差異が生ずるため、ヘロットが反乱を企て暴徒を化すことも 頻繁に起こった。


   このへロット達の反乱の芽を摘むために、貴族階級にあたる ドーリア人は常に目を光らせる必要があった。 これによって、自然と武力による軍隊の強化が進んで いった。


    スパルタの子供は、まず生まれた瞬間から、長老の手で選別された。虚弱児 と認めらた場合は、山に捨てられたようだ。 7才になると、軍事訓練のために親元から離され 現役軍人の生活するタコ部屋に入れられ、共同生活を強いられる。 服はマント一枚を支給され、食べ物も粗末なものだった。こうして忍耐力と 闘争の精神を養っていった。 当然、弱い者は成長途上で死んでいくこともあっただろう。空腹を覚えた 子供達が 食べ物を盗む事は、かえって奨励される行いであったという。



重装歩兵のヘルメット ギリシャ兵士の戦い


    成人を迎える前に最終試験「クリプティア」という 野宿訓練を受ける事になっていた。1ヶ月という期間に裸同然で荒野に放り出され、 狩りや略奪によって食料を調達し、生き抜かなければならなかった。ノルマとして各人が、ヘロットを 一人殺害するという付加条件も付いていた。


   成人になっても、その身分と仕事は「闘う」事のみであり、 他の農作業や商業品の生産はヘロット達の仕事であった。兵士達は皆、宿舎で 共同生活をして常に緊張感と、そして戦闘態勢を怠る事は許されなった 。また、国家への生産性のない男子は蔑まされ、 つまり、一定年齢まで独身でいる男子には罰が与えられたという。 文化においても、青年を堕落させるとして、アテネの劇場で盛んに 上演されていた芝居や哲学というものは禁止されていた。


   通常、ポリス「アテネ」のように敵襲に備え城壁で都市を囲う のが普通の防砦体制であったが、スパルタは軍事力と1人1人の戦闘力に自信が あった表れなのか、城壁が無かったという。



スパルタ王、レオニダス 300




   アテネの場合、その市を囲う城壁はアクロポリス の丘の建築に勝るとも劣らない規模の大事業であり、 外敵からの 防御壁であると同時に、延べ建築として産業流通の 効率化を図るための大道路の増設の意味もあった。


   というのは、 物資運搬の効率化を図るために、海洋貿易の拠点である沿岸都市ピレウスと アテネ市の間に、城壁の一端から派生して立派な石積の直線道を延ばしたことにある。 この補給路を「アテネの長壁」と呼んだ。 両脇を高い塀で囲う完全な城壁であり、 これにより、内道に大型車が使用できて運搬の迅速化が図られ、また、 戦時中もピレウスを拠点 とした海上の行き来が可能になることを示唆していた。


前4世紀前後のアテネ市の情景 アテネの長壁


    幅160m、全長6kmに及ぶ大道路で、時代ごとに増改築が繰り返され、今でも ピレウス市街地の各所にその石積の跡が残っているという。コノンの城壁 などは有名。 ピレウスは この様にして、港町としてアテネの発展と共に、 繁栄していった。




紺碧のエーゲ海



ピレウス港 ライン1 ピレウス港



   ピレウス港へのアクセスは極めて簡単だ。 地下鉄ライン1の終点駅にあたるので、モナスティラキ駅から 乗り換え無しの20分程度で到着する。


ピレウス駅 ピレウス駅 ピレウス港





「なんっつっても、紺碧のエーゲ海っしょ!エーゲ、エーゲ」




   現在のピレウス港は、エーゲ海に浮かぶ様々な島へ 繋ぐ船舶の玄関口という意味合いが強い。観光客にとっては、これで 島々を巡るクルージングが大変人気であり、特に、欧州の 人々が初夏になると早速のバカンスを求め押し寄せ、ハイシーズンにかけて 混雑が続くと聞く。 なので、 湾の周りは日本でもあまり見かけない様な、超大型フェリーが多数停泊していた。



サササッサッ・・・サササッーーー



    出航の時間まで、白い巨大 船体は、太陽光を撥ね返しながら、その身を静かに波間に揺らしていた。



フェリー フェリー フェリー



    これらクルージングは 予約が必要なことが多く、私事、本日の朝までピレウスに行くつもりは 無かったのだが、時間が余ったので、あわよくば半日クルージング でも飛び込みで参加できないものか、と 行き当たりばったりで思わず地下鉄に飛び乗っていた次第だったのだ。



周辺地図 ピレウス港


ピレウス港  PIREAS






    フラフラ歩いていれば、そんな都合の良い船もあるかもしれん。と、 波止場に沿って周辺をうろついてみた。 がしかし、そんな調子の良いことはなく、この時間帯では乗船できる船は1つも無かった。  





「やはり、事前予約は必要なのか・・・」





乗船券販売所 乗船券販売所 コースは様々に用意されている




   しょうがないので、波のせせらぐ海岸線に出てから、 エーゲ海を一目見て帰る事にした。ピレウス湾は、湾のほぼ中央に地下鉄 「ピレウス駅」があり、 二手に分かれた波止場に沿って船舶が停まっている、という敷地構成だ。 駅の改札を出た後、陸橋を渡り何も考えず取り敢えず北回りに 沿って歩いてみた。しかし、 さすがはギリシャの海の玄関口だけあり、巨大湾口なはずで、 しばらく歩いてみても商業船舶が停泊する湾エリアから中々脱する 事ができない。海岸線まで辿り着けるのだろうか?


   続く道を大回りに根性で追従していくと、 そのうち歩道も付いて無いような大型道路に繋がっていった。初めから二手の 南に下ればよかったかな、思わず泣き言が口から飛び出した。暑い、とにかく暑いのだ。




道路 道路 海岸線



   もう、引き返すのも面倒なので車無き道路を ひたすら上ってみた。先20分くらい歩くと視野 が開け海が見えてきた。しかし、そこは観光客はおろか付近の住民さえいない荒涼とした 海岸線だった。金網が張られた敷地内を覗き込めば、海水浴特有のパラソルや 歓声は一切なく、 モクモクと煙突から煙を吐き出すメタリックな 工場だけが、連想していたエーゲ海とはほど遠い情景を作り出していた。


    ここは、工場団地のような場所らしい。エンジン音を轟かせ 我が物で進むジェットフェリーが、誰も居ない目前の大海原に横線1本の 泡沫の足跡を残して いく。




ブォーーーーーー




海岸線 海岸線 海岸線




「エーゲ、・・・海。濃青の・・・海。      虚しい」




   しばらくの間、 誰も居ないベンチで独り海岸線を眺めてみた。が、やはり 浅瀬は太陽光の透けた岩場と砂地が作り出す、若干、澱んだ独特の 色合いの海水だけで満たされており、それはそれで綺麗であるのだが、 かなり沖に出ないと私の希求していた様な 群青色の、深い深いコバルトブルー色というものは拝めないようだった。その為には、当然 フェリーなり船舶なりの履行手段が必要になるだろう。


    連日の 歩き疲れと、相変らずの強い紫外線が身体疲労を蓄積させ、 意志を弱気にさせているのが分かった。 タオルで額の水玉を拭いながら、 持参のペット水をガブ飲みしてから、その場を後にした。



一休み 側道 道路入口



    帰りは脇に暫間併設された、パイプ製の 歩道を渡って帰ることにしてみた。私が テクテク歩く様を見て、工事の親爺が怪訝な眼差しを向ける。 振り返れば、車一台ない車道には黄色いコーンや注意標識が ポツリポツリと並んでいるのが見えた。来る時は気付かなかったが、高速道路か何かの幹線道路 建設中で、立ち入りは禁止の区域だったようだ。







女神アテナに護られた都『アテネ』


   最終日がやってきてしまった。 とうとう、アテネともお別れの時間だ。本当に楽しかったアテネの旅だった。 名残惜しくも、早々に 荷をまとめホテルを後にし、地下鉄に乗り空港へと急ぐ。


   地下鉄ライン3に乗れば、小難しいこともなく 終点の空港まで運んでくれる。 車両は 日本のような横一列に沿って座席が並ぶ構成ではなく、 ローカル線に多い向かい合った2×2人で座るタイプ のシートだ。日本のような常時混雑というものは存在しないらしい。



ライン3 空港へ


    大きなスーツケースを脇に抱え、狭い通路から4人がけシート に移り、 気を許してシートにドカリと腰を落とした。 地下鉄ゆえの真っ黒な 無機質の車窓 に視線を落とし、する事もなく思いに耽った。空港到着まで、一時間近くはかか るだろう。


    対面のシートでは、ハンチ帽にヨレヨレシャツと茶色い作業ズボンの身なりの、 ラフな格好の親爺が一人で新聞を広げている。その身なりでは、 飛行機を利用する旅行者のようには見えない。日常生活の移動手段として この路線を使っているのだろう。 目線を私に向けるとニコリと笑う。50代くらいだろうか、目尻の 皺が人懐っこさを物語っている。



「ファーーーーっぁ・・・」




   私の口から 無意識にアクビが出た。 歩き疲れた身体は最終日まで来ると、もう如実に反応をみせる。 4〜5分もすると軽く眦を閉じる程度の行為が、当たり前のように 深い眠りを誘っていた。どうせ、単線なんだから乗継ぎ等で失敗する事もないだろう、 そんな安心感もあったので、しばらくは熟睡の極みに堕ちていた。 意識は遥か忘却の彼方に・・・




    しばらくすると、耳元でパフパフ音がして、若干強引に肩を揺らされ 起されたのがわかった。混濁する意識の中で車内を見渡すと、 先ほどの親爺が丸めた新聞紙片手に、片っ端から寝ている乗客の 肩をポンポン叩いて廻っている姿が見えた。





『何してんだ、オメーだす!   早く降りっぞ!』





   ライン3の利用は、空港に向かう観光客がほとんどを占めている ようだ。 色彩的にも 様々にカラフルな大型スーツケースを抱える者であふれ、一目で 外国人旅行者の集団だとわかる。当時に、当地の事情に疎い集団にも見えるわけだ。 叩き起された 回りの旅行者は、唖然として キョトんとした顔をする。終点まで乗っていれば、いいんじゃないの? 全く、昼間からどんな御酔狂だよ。ってな、感じで。


    取り敢えず、親爺の後を付いてプラットホームに 降り立つと、突然に、電車は車内の灯りを消し、無常なほどに 観音扉の鉄板を閉めた。



プオォォォンーーー



    そして、 特有の電気音を響かせ、無人の車両は何事も無かった顔して レールの上を走っていく。



強制降車させられる Doukissis Plakentias





「ふぅ、危なかった・・・・
どうみても車庫行きです。本当にありがとうございました」





    私の謝辞は届いただろうか、そん な事は知った風情ではない、といった涼しい顔をして男は去っていく。 どうやら、この「Doukissis Plakentias駅」で、地上を走る鉄道にリンクするらしく、 空港利用者と含めたどの乗客も、ここで強制的に降車させられるという事らしい。


    アテネ市街に向かう初日には、そんなことは無かったので、 安心して寝入っていた次第で、また、駅到着前に事前放送や車掌が廻って来る事 も無かったので、正に想定外の出来事だった。 飛行機に搭乗する最終日のリミット付き履行手段として加味した 話としても、この日の 親爺の機転の利いた行動には、本当に有難いものがあった。 あのまま、熟睡の中で放置の挙句、真っ暗な車両に独り取り残されて、 行き着いた車庫でパニックと共に 目覚めていたかと思うと、今更ながらに 空恐ろしい思いがする。



ライン3 地下鉄は鉄道にリンクする そのままプラットホームで待っていればよい


   そのまま同じプラットホームで待っていると、 鉄道が やってきた。鉄道といっても地下鉄の車両と大差は無い外観だ。 この場合、降り立ったプラットホーム上の 電光掲示板に、次の鉄道到着までの時間も表示される仕組みになっていた。 この時点ではもう失敗もなく、 安心出来そうだ。


    その後、無事に車内に乗り込み、しばらくすると私を乗せた鉄の車体がゆっくりと 地上に顔を出した。この線路は高速道路と併走する形で空港までレールが敷かれている ようだ。 車窓を遠視すれば、道路を挟んだ地平線にお椀型の峰が見えた。 ペンテリコン山だろうか?


    あそこから切り出した大理石が、建築史上類を見ない極美の神殿を 造りだしたのかと思うと、思わず、真っ青な空と心中を重ね合わせ、 感慨深い独り言が無意識に口から飛び出すのだった。




「フー、それにしても、ギリシャの空は青いなぁ」





山 パルテノン神殿


   空港で所定手続きを済ませ、最後にもう一度外気に触れたくて ベンチを求め屋外に出た。燦々と降り注ぐ地中海特有の太陽光は、 兎に角まぶしかった。ギリシャの青い空は人を引き付けて 止まない。アテネを訪れた人の多くが、その結果、ギリシャかぶれに 成って帰国し、その後リピターのように何度もギリシャを再訪するようになるのだ という。


    あながち、間違いはなさそうだ。荘厳な神殿を筆頭に、俗っぽい神話の数々と、 のちのローマ人を収拾熱狂させた彫刻群の写実性の素晴らしさ。 そして立地上、 この太陽を求め7〜8月にかけて、 気軽にリゾート気分でヨーロッパ諸国の人間が大勢南下してくるのだという。 日本でいえば、沖縄やハワイに旅行するような気分だろうか。 特に、キクラデス諸島は、海の美しさもさる事ながら、 欧州人にとっては悠久の歴史が育んだ 絶対的な文化の裏装があり、潜在的な望郷の地でも有り得る。






   そう、ミロス島に行ってみてはビーナス所縁 の綺麗な海を堪能したい。 サントリーニ島では、火山の咆哮を真近に見て自然に脅威に触れてみたい 。ロードス島には、かつて世界の七不思議 と数えられた巨像が設置されていたという。 いや、クレタ島のクノッ クス宮殿で迷宮に彷徨うのも面白い。 考えてみれば、 みたい物、したい事、は 山ほどあった。 もちろん更に言えば、これらエーゲ海の島々は ダイビングやマリンスポーツのメッカでもある。


   一方、内地に目を向ければ ペロポネソス半島には ミケーネがあり、 南下すればかつてアテネと覇権を争ったスパルタもある。 アッティカを 北上すれば、切立った岩の上に教会が建てらた、中世の時代は聖地とされた メテオラがある。さらに北上すれば、 マケドニアの国境近くにはアレキサンドロス大王所縁 の地である、ペラの街もある。





管制塔 町の看板




   思いは尽きない・・・その為には長期の休暇と、お金と、 チョッぴり語学力も必要かなぁ。独り苦笑し、腕時計を 見らがら膝をポンッ、と勢い良く叩いてみせた。定刻時間が近付いた。 帰りの飛行機に搭乗しなければならない現実があった。


    ヨッコイショ、とばかりに一言放って起立した。腰が重たいのは、決して 連日の歩き疲れからくる筋肉痛のみだけではない。 だが、もう 時間がない。 後ろ髪を引かれる思いで、その場を後にした。タラップを継いで機内にて、窓側席を陣取り 肘をついて、もう一度、外窓を眺めギリシャの空を仰ぎ見てみた。 ギュイーーーン





「take off・・・」





    車輪が格納され、轟音と共にEK106がエレフテリウス空港を飛び立つ。 女神アテナに護られた都『アテネ』が目下のアッティカの大地を 過ぎていく。 ああ、溜息混じりに思う。今生の別れか・・・ 否、また来たい。 ああ、また来たいなアテネの青い空。







Athena





   飛行機雲が、 ギリシャの紺碧の大空に一条の白線 引いた。

まるで、 白亜の殿堂を支える巨大石柱のごとくに

白く、真っ直ぐに・・・






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