家康が天下に威信を示した巨大建築物名古屋城は天下を治めた家康が東海道の要所として 築城を命じ、1612年に完成させました。天守の高径は55mを誇り、 18階建のビルに相当する当時としてはかなりの高層建築物でした。 さらに、天守頂上には金鯱が載せられ徳川家の威信を知らしめん、とするシンボル を掲げたのです。 完成後、幾度の大火と維新時の廃城の危機も切り 抜け、またマグニチュード8クラスの濃尾地震 に耐え抜き333年もの間、濃尾平野に鎮座していましたが1945年の空襲で焼け落ちました。 現在の天守は1958年の、 名古屋市制70周年を機に再建させたものです。 |
巨大な正門をくぐると、はち丸がお出迎えです。 生誕日は1610年[慶長15年]1月1日(HPにて公式発表)なので、 齢400近いことになります。 |
敷地内にカメラのシャッターポイント広場が何箇所か設けられています。 |
石垣の勾配は上部で外側に反りだす「扇勾配」になっています。 天守の石積みは加藤清正が担当していた為に、特に「清正流三日月石垣」と 呼ばれており、 力学的に、この湾曲が石重の圧力を分散させるのだそうです。 城外にほど近い場所には清正像がありました。 |
本丸エリアの東側に、別途に「清正石」と呼ばれる巨石が 在るようですが、こちらの担当は黒田長政であったというのが真実なので、 伝承的な語り草に由来するだけの命名のようです。 |
不明門から廻り込むように本丸エリアに入ると、 天守への入り口が見えます。 小天守から入場し、通路で渡って大天守に向かう見学順になります。 |
7階建ての構造で、各階に展示物や資料が並べられています。特に 空襲による資料関係が多く、焼失前の貴重な襖絵や蒔絵の写真なども同期展示してあり ます。 本丸御殿には、国宝級の絵画が多数あったようですが空襲で焼失したものも 多かったようです。幸いにも、一部は空襲前に取り外されていた為に灰に成る事を 免れ、現在大切に保管されているそうです。天守の南側に本丸御殿の再建が行われ、目下工事進行 中です。完成後、この場所に再び建築物の一部として組み込まれる予定だそうです。 |
天魚を盗もうとした泥棒もう1つ、面白い資料は金鯱を盗もうとした泥棒について。 金鯱の鱗の盗難事件は過去何回か起きているようです。江戸時代を始め明治に至り、 この時期には3回も 起こり当時のセンセーショナル な新聞記事も読めて、なかなかに興味深いものです。 5階には原寸大の金鯱模型があり、跨って記念写真を撮影できます。 |
天守頂上からは、市内が一望できました。 |
船の上に海を造るなんて・・・すごい発想です市内には栄と呼ばれる繁華街があり、テレビ塔、オアシス 21、観覧車と見所も様々にあり深夜遅くまで大変な賑わい様です。 まずは、オアシス21に入ってみました。地下〜1階部にかけては多目的ホールやバスのターミナル になっていました。 |
何気なくエレベーターで階上に上ってみれば、 「はうあっ!!」 そこは、透明天井の中央部に水を満たし、夜には周囲を白色ライトアップが包み込み、 また、地上14mの高さからの 微風が優しく水面を波立てる、何ともロマンチックなスポットだったのです。 柔らかな流線型の 宇宙船が天高く翔び、更に其処の場所に敷地一杯の大きな海を造ってしまうなんて・・・ 正式名称は「水の宇宙船」だそうで、何だか本当に凄いモンを造っちゃうものです。 環境的な着眼として水を張った大屋根により、階下の輻射熱を軽減している目的もある のだそうです。 |
付近のサンシャイン栄には観覧車があるほか、栄地区 から西に2kmほどの位置にJR 名古屋駅があり、2本の駅ビル「セントラルタワーズ」が聳え立っており、 エレベーターで高層階まで上がりライトアップされた名古屋城も望むことも出来ます。 |
夕食は「味噌カツきしめんセット」を食べてみました。 この味噌カツ というシロモノ、とんでもなく美味しいのです。今まで既知上の‘ミソ’という感じでは無く、 完全別モノの特製デミグラスソースと捉えたほうがいいみたいです。コロモとトロミの利いたソースの 相性も抜群であり、想像していた以上の美味さなのです。 あんまり気に入ったので旅中 に2回も3回も繰り返し食べたのでした。大抵セットのメニューとして、圏内の 定食屋なら何所でも置いてあるようです。こんなモノを毎日食べられる名古屋人は、全く 羨ましい限りです。 |