生きてる事が功名か


樋口橋交差点 R246沿いの看板 トイレ 無料駐車場


洒水の滝

   洒水の滝は、一の滝は69m、二の滝が16m、三の滝が29m、とあり 神奈川県下ではその規模として最大級を誇ります。R246に「樋口橋」という交差点が あるので、そこを折れます。大きな看板が立っているので迷う事もないでしょう。 駐車場は入り口前のトイレがあるエリアは無料(数台程度)です。坂を登る先の敷地は、 ここで営業する旅館固有の ものになり、有料対象になります。


駐車場マップ 説明文 公園 洒水の滝


洒水の滝




   無料駐車場の入り口から歩いて約10分くらいの距離です。酒匂川の源泉である 滝沢川に沿うかたちで散策路形態の公園が整備され、脇には喫茶店や野菜の直売会もありました。 坂道ですが、然程辛い事はなく道成り1本で辿り着けます。


洒水の滝 洒水の滝 洒水の滝


   滝へ続く散策路の途中には最勝寺や常実坊があります。


最勝寺 最勝寺 最勝寺


河村城址

   電車の最寄はJR山北駅になります。駅から洒水の滝に 行く際に、地元観光の方でも、 この歴史公園と滝を一緒に廻るハイキングコースを推奨しています。若干、坂も多いのですが 舗装された道や標識等もしっかりと有り、実際、一帯は迷うことなく観光できる親切な 設計になっていました。


山北駅 山道 案内図 新編相模風土記稿


   河村城の歴史は古く、登場はかなり昔に遡るようです。古くは 平安時代の末期、藤原一族の波多野遠義の次男である河村秀高によって築かれたと 伝えられ、その子の義秀が石橋山の戦いの際、平氏に味方した事情から領地を没収された という経緯がありました。義秀は、その後に鎌倉で流鏑馬の妙技を披露し、頼朝の歓心を引き 本領河村郷を復帰させたそうです。『吾妻鏡』


   時代廻って、戦国の世でも当城は立地からも重要な土地でありました。 一帯は「城山」と呼ばれ、そのロケーションとして北を皆瀬川、南を酒匂川 に囲まれた標高225mの完全独立性の丘陵で成り立っており 、山城の要害という面でも堅固で優れた要件を満たしていました。


   甲斐や駿河の国境としても要の土地であり、小田原北条氏に とって武田の脅威を防衛する最前線の拠点でした。


城山丘陵 畝堀 畝堀


   城を構成する 各郭は掘によって区切られており、その底面に土盛りで段々の仕掛けが施された区画が確認でき ます。「畝堀」です。 敵の侵入を防ぐ意図があったとされ、山中城や小田原城にも見られ、北条氏の 築城方法として特異な構造です。当城では、主に北上の茶臼郭と本城郭との間で 確認されており、方位的に特に 甲斐の武田に備えた防御策であると推測されています。


本城郭石碑 本城郭 本城郭からの景色 洒水の滝方面


    本城郭は城の中心部分です。現在は公園になっていて、石碑の他、お堂とベンチ やトイレ等も用意してあります。これより、東の道に向かうと蔵郭、南の道 に向かうと洒水の滝方面に至ります。


説明文 木橋 橋脚跡


    本城郭と蔵郭の間には、橋が架けられていたことが判っています。炭素測定により約400年 前の伐採木であると判明しており、その橋脚部には、現在4つのコンクリート礎石を 敷いてあり、目視による当時の位置関係の確認が可能になっていました。


説明文 蔵郭 お姫井戸 お姫井戸


河村城址  畝堀  本城郭  蔵郭




    蔵郭は文字通りに穀物の貯蔵を用途としたエリアでした。その他、陶器や椀の発見もされ ています。近年の発掘では、城内全体は焼土と炭化物による層が覆っている事が 判りました。


    城の歴史は天正18年(1590)の秀吉が行った北条征伐、この際に落城し廃城の 経緯をたどったとの 推測ですが、今のところ 明確な記述の文献は発見されていません。


   当時、茶臼郭と小郭の間には井戸が設けられていましたが、 落城日に城主の姫が身を投げたという伝承があり、現在、この井戸をお姫井戸と呼んでいます。


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