アユタヤへの道バンコク⇔アユタヤのアクセスは様々にあるようだが、 今回はロットゥーというミニバスを使ってみる事にした。バンコクの一大ターミナルに 『戦勝記念塔』という広場がある。円形のバスロータリーに なっており、各地に向かう大小様々な バスが集結している。アユタヤ行きのロットゥーもここから出発しているようだ。 早速、朝はやくからBSTを伝い『Victory Monument駅』で下車し、バスの乗車場を目指した。 |
フラフラ歩いて探すと、それらしい場所に到着。発券所で小生の拙い 英語を交え、何とか交渉してみる。乗車賃は60Bらしい。格安だ。 受付の女性は窓口で手馴れた対応でテキパキと切り抜ける。朝っぱらの忙しい中、時間を 割いていられないわ、って感じ。支払いの後、お釣りを手渡しされ、 指先で方向を指示される。 『じゃ、その椅子にsit downして待ってて』 発券所の脇に日本でもお馴染みの緑色の平面シートと黒い鉄パイプで作られた 安っぽい丸椅子が数コ並んでいる。どっこいしょ、と座ったのはいいが切符を貰ってない事に気付く。 「あのぅ、切符発行してください・・・」 再び窓口に戻り一言、その返しとして 受付の女性に『ホイっよ』と渡されたのが、この切符だ!左が表、右が裏・・・なのかな、 もうどうでもいいや、って感じの代物。樹脂製のゴザをハサミで切断して、マジックで 印記してある、だけ。う〜ん、この時点で強烈な不安感・・・大丈夫かよ? |
無事にアユタヤまで辿り着けるのだろうか? 素直に電車で行けばよかったかな、後悔積年。 さらに、椅子に座って15分近く経っているのに、何の反応も無し。 もしかして忘れ去られてる?不安は最高潮・・・ すると、突然、私の暗闇を払拭するかの様な大声が響き始めた。 運転手兼呼び込みが発する、これまた間の抜けた甲高い叫び声だった。 『アウッチャー、アウッチャー』 思わず吹き出してしまった。(Ayutthaya)と叫んでいるらしい。 日本人の発声する「アユタヤ」とは全然響きが違う。現地語の発音から 日本語句で表現するなら 『アウッチャー』もしくは『はぁうっちゃ〜』と表現するのが近いだろう。 これを、呼び込みの親爺が『アユタヤ行きのバスが出るぞ〜、はやく乗れや〜』と 必死に連呼しているので、極度の不安の中から突拍子もない展開がなされ、私にとっては 緊張が切れたように 笑いが込み上げてきてしまったのだ。グフュフュフュゥ〜ニヤリ・・・ まあ、少なくとも アユタヤまで行けるのは間違いなさそうだ。 ワゴンに乗って待っていると、さらに乗り込んだ客は2人のみ。一人は女子高生。 もう一人は建築作業員風の50歳くらいの男性だった。 どちらもタイ人である事には間違いない。 しつこいほど 連呼する親爺が10分くらい叫び続け、ようやく出発に至った。乗車賃60Bなので 席が埋まらないと採算が取れないという事なのだろう。 |
不安が笑いに変わり、バスが出発した。 やがて高速道路に入ると、それは、今度は恐怖に代わっていくのだった。 一言でいうと、とんでもない速度過多。常時、 時速130〜150km以上は出ていただろう。この手のワゴン車は 高速道路ではチョッとした接触でゴロゴロ横転し、大事故に繋がる。こちらの心配を 知ってか知らずか、ドライバーは意に介さず平然と4車線を 右に左へと大胆に車体移動する。完全にオラオラ状態。 タイの高速道路も、右が追い越し車線だ。 それを、基本最右側に陣取りながら運転し、追い越しの際は左車線に移動するという 逆行動をやってのける。このスピード狂め!慣れっこなのか、青い顔をしているのは 私だけで、同乗している2人の客はグーグー熟睡している。 1時間ほどで、極端に減速しミニバスは 左に大きく反れた。高速を降りるらしい。 ホッと胸を撫で下ろす。掌をみると、変な汗をかいているのに気付く。エアコンがガンガン効いた車内 なのに・・・命があってよかった^^ |
ちなみに、帰りは大混雑。全席埋まって、運転手含め15名で出発した。 運賃は行きと同じく60Bで、ワゴンの扉の前で現金を払って乗車 する、のみ。チケットの発行は無かった(^_^;) でも、 スピードは ゆっくりめの安全運転 。乗客は、海外からの観光客の方が多く、疲れていたのか皆んな寝ていた。 トゥクトゥクを雇うさて、ロットゥーはアユタヤで停車し、 2人の乗客も降りていった。私もそれに続いて降車し、初めて来るアユタヤ県の辺りを見回してみた。 雰囲気からしてもメインストリートであるに違いない。 恐らく某ガイド本に解説してあった通りに、『アユタヤ駅』を挟んだ川を渡りきった中央付近の位置まで 来ているのだろう。通常、電車で来る場合は、駅からバーサック川を渡し舟で 渡る事になる、とご丁寧に解説してあったので、ミニバス「ロットゥー」が遺跡の近くまで運んでくれたのは 有難い話だった。 |
アユタヤ王朝は、そのむかし王宮を中心に周囲に 運河が1周グルリと巡っており、水路を利用した交易で栄えた歴史を 持っていた。 そして、大まかな陸と水路は、そのまま現在でも存続している。 このため、中洲エリアに駅が引かれなかったので、 電車での履行の場合は、川を渡る必要があるのだ。 1日、アユタヤの運河沿いをトゥクトゥクやバイクで 巡っていると、アユタヤ王朝の地形や、 中洲の内と外との格差や文化みたいなものが、おぼろげながら理解できてくる。 張り巡らされた水路と都市国家は、なるほど、その昔「東洋のベニス」 と呼称されていただけは有るな、と頷かされる。 また、バンコクほど高いビルや建物がないので、遺跡の全体像や位置関係が 大体脳内でも測れる。ギンギラのド派手な寺院が多いバンコクに比べると、レンガや テラライトの剥き出しになった 廃れた風情は、「遺跡」という面目にふさわしく、 どこかアンコールワットのあるシェムリアップを偲ばせる佇まいだった。 住民の性状もバンコクほどの他人行儀さはなく、田舎らしい 温かい感じがする。 |
山田長政が活躍した頃、日本人町は 中洲には無かったが、運河を挟んだ 直ぐ南方に置かれていた。他の 外来人の集落(日本人町の他、オランダ町など 多数あった)も同様に、その付近に密集していた。 貿易で栄えたアユタヤは、古くより日本との馴染みが深く 、そのためか昔から 日本人の観光客は多く、日本語表記された案内版や標識はバンコク市内より 断然多い。 |
中洲の周囲は十数km程度、 内地は平地が多く観光特区界隈は舗装路が整備されているので、1日観光には レンタルサイクルが便利だという。 早速、某ガイド本を頼りにレンタル屋の並ぶという通りを目指した。 |
(ウートーン通り)と(パマプロー通り)の交差点辺りに店舗が在るという。 現場に着くと、・・・果たして、そんな店舗は全く無く、自転車すら1台も 見る影がない。 「おかしいな・・・最新年度版を購入したつもりなんだが、 これじゃ全く地球の迷い方だよ・・・」 独りプリプリ切れまくって、踵を返し歩きはじめた。 しょうがないので、先ほどのメインストリートに戻って トゥクトゥクをつかまえることにした。 少し歩いていると色んな方向から呼んでもいないのに、 勝手に声が掛かってくる。(hey!sir.800Bでどうだ?)(Tuk Tukどう?)(半日500Bでトゥクトゥク を貸切りしないか?)てな具合に。 交渉を含め、通りの端までザッと歩いてみた。 1日500B前後が相場であるらしい。メインストリートの最後までくると、 プッツり人の往来もなくなった。折り返して本格的に交渉に望もうと 通りを戻ろうとした時、 突然、滑舌の良い日本語が響いた。 |
『コンニチハ!日本の方ですか?』 トゥクトゥクの 運転席から顔を突き出して、必死の形相で話し掛けてくる親爺がいた。 日本語で近づいてくるドライバーにはロクな奴がいないんだがな。 と、過去を回想しながら、流し程度の気分で男の話に付き合ってやった。 彼曰く、自分は警察公認のトゥクトゥクだ。協会の取り決めで 時間給=200Bと運賃が決まっている。そして、何より 自分は安全な人間なんだ、と。 誇らしげに車体に貼られた警察署公認の証書らしき ワッペンを指差す。青地に黄色線。盾のデザインをした、一見でそれっぽい 感じと連想できるステッカーが張ってあった。更に男は続ける。 『1dayチャーターなら今から夕刻まで1600Bだけど、特別にワンサウザントで OKよ。もちろん、無駄な土産屋も行かないしチップも要求しない』 話にならんね。無視して歩き出すと必死で付いてくる。 じゃあ、幾らならOKなんだ?と切り返されたで、一言返してやった。 「500B」 あからさまな不快顔。それでも、しつこく追っかけてくるのだから 相場はその程度なのだろう。男も折れ始めて、じゃ900は?、750でどう?、とドンドン下がり、 結局 600Bで1dayチャーターという事に決定した。 何というドンブリ勘定か・・・ 時間給なんて本当にあるのかよ。ニコニコ顔のドライバー。カメラを向ければ 一丁前にポージングを決めるグラサン親爺。まあ、ノリは良さそうだ。 |
キャリー部分に客が乗車するのだが、思ったより屋根が低い。 アンコールワット巡りで使用した トゥクトゥクに比べ天井が低く、室内も狭いという印象を受けた 。日本人なら2〜3人で 乗ってもさほど苦ではないだろうが、大柄な欧米人が身を屈めて数人で乗り込んでいたのを 旅中何回も見たが、本当に 辛そうだった。快適な移動を望むなら、数人で金を出し合い タクシーをチャーターする方が良いのかもしれない。 『よっしゃ、初っ端はワット・マハータートに案内するでぇ〜』 男の掛け声と共に、トゥクトゥクは軽快なエンジン音を 響かせ出発した。 ワット・マハータートは、あの榕樹に飲み込まれた仏頭が印象的な寺院だ。 最もアユタヤらしさを表現する遺跡として、旅ガイドや紹介に頻繁に使用されている、あの ワンショット写真が撮影できる場所だ。 |