生きてる事が功名か


angkor wat


   その構成は、南北に1300m、東西に1500mの巨大な堀で囲まれ 、正確に東西南北の方位を示している。中央島にあたる敷地も外周の等縮尺に準える寸法に なっておりグルリと1周に高経の石壁で囲まれている。


   内島は西と東の其々、2本の橋で交通している。最中心部の祀壇は 3層の回廊で等間隔に囲まれており、外周から内周にかけて、それぞれ第一回廊〜第三回廊と呼ばれ 段々に高さが増していくという造りになっている。 正面に向かって西から入る参道の両脇には2基の経蔵が並んでいる。



アンコールワット全体図

アンコールワット中央祠堂



   上下左右対称の正確な配置と、末広がりの巨大な5本の尖塔。 それは、正に計算し尽くされた 究極の幾何学寸法の様式美といっていい。  


   古代クメール人が模すところの、最外周の水を湛えた環濠が海であり、 島を一周分に取り囲む高壁がヒマラヤ連峰で、5本の尖塔は神々の住む須弥山である。 最も高貴な場所であり、 宗教的な意味合いとしてヴィシュヌ神が 降臨し宇宙と融合する神聖な場所であった。 勿論、その高経として最中央部は65mあり、 その昔、巨大建築物が無かった時代、 参礼者達は高く迫出した中央尖塔に進むに従い、 天に昇る様な錯覚と高揚感を覚えたに違いない。


アンコールワット  Angkor wat 環濠と西参道





   ワゴンから降りて、二人で西参道入口から橋を渡る。 環濠の幅経として190mもあるので、渡りきるのも一苦労だ。


『日本の方にとっては、国の象徴は富士山ですよね?
カンボジア人にとっては、それはアンコールワットでありえるわけです』

「ごもっとも」

『国のシンボルとして、お札、国旗にもデザインされていますね』



西参道入口 環濠の石橋に手摺は無い



   見渡すと、環濠に掛かる橋には手摺等は備え付けていない。石敷きの 頑丈な造りであるが、日本の観光地にありがちな懇切丁寧な施設設備は存在していないようだ。


「これって、橋から落ちたりしないの?」

『おちますよ』

「えっ!?」


   この環濠は、雨季には水で満たされるために湖のような規模に変化する。 何でも、電燈が無い夕暮れ時からは暗がりの中、観光客が誤って落下する事故が時々おこるそうだ。 西から伸びる石橋は、 高経があり水面からよじ登るのは不可能である。島周囲の護岸からは 階段が形成されているので、もし落水した場合は島 まで泳いでもらい、そこから這い上がってもらうとのこと。


アンコールワット Angkor wat トゥクトゥクに乗って環濠を巡る





    橋自体も左右で若干、差異が出ている。 正面向かって、右側が平らであり、左はデコボコで飛び出した状態だ。石の端につま先を掛ければ、 ひっくり返りそうな勢いだ。 これは、部分によって創建の年代が異なる事、そして地盤沈下に起因することろが大きいとのこと である。



左は未だ悪路だ 左は未だ悪路だ



   元来はヒンドゥー教を母体とした宗教寺院であったが、1431年に 都城が放棄された後は、上座仏教の信仰寺院として生まれ変わった。 そのため、各回廊には随所に仏像の安置がなされ、特にプリア・ポアンには千体仏として 大量の仏像が奉納された。 寺院改宗の契地とされる場所だ。



破壊された像 破壊された像 破壊された像



   宗教施設であると同時に、深い濠で囲まれたこの建造物は要塞としての 用途でも最高級の造りであった。時代巡って、70年代は クメール・ルージュが占拠しアジトとした経緯から、これら 内部の石仏や旧世代の構造物も一部破壊された。その後、79年にクメール・ルージュが ここから撤退すると、日本の遺跡の調査団が入り、現在まで少しつづであるが 修復を施して続けてきた。この 西参道部分の 修復は、現在、上智大学アンコール遺跡国際調査団によって施工されている。


『数年前には、ここをコンサート会場として使った事もあります』

「へー」

『不評をかって、以降は行われなくなりました』



ナーガ像 西塔門 ヴィシュヌ神



   渡り切ると、欄干の端にナーガ像がお出迎えだ。初っ端の人気記念撮影 ポイントであるらしく、ナーガを背景に写真を撮る為に、数人が成す列が出来上がっている。


   島を囲うように周壁が形成されており、その中央部、つまり西参道に直接繋がる 入口は西塔門と呼ばれ、内部に立位のヴィシュヌ神が安置されている。 読経が響く中、線香の煙があたりを包む。瞑想しながら祈りを捧げる者を多く見る。 付近の住民達の参詣場になっているようだ。


『さあ、線香をあげてってくだせぇ』


    老婆に火の点いた線香を渡された。それを、そっと焼香台に挿す。 チョッとした目配せを感じた。なるほどね、という訳で1$紙幣を置いてその場を後にした。


   西塔門から 左右それぞれに回廊があり、 列柱廊と、れんじ格子が備えてある。どこか、西洋の建築物のような、そうギリシャの神殿を連想させるような 景観だ。れんじ格子は強い熱帯の太陽光を軽減する為にあるのだという。



れんじ格子 西塔門 左方向の列柱廊



『こっちに来てみてください』

ガイドに 呼ばれた先の、その指差した石壁に天女が彫られていた。




<デバター>

    女官のリリーフのことで、女神そのものを描いている意味合いもある。1体〜数体で彫られており、 アクセサリーや結い髪、衣装や顔貌と表情に至るまで、バリエーションも様々に存在する。





ここの個体は通常のデバター像に比べ、どこか威圧的な感じを受ける。

『笑うデバター像です。歯を見せて笑っているでしょ。
ここだけにしかない、珍しいパターンです』



歯を見せて笑うデバター像 通常のデバター像




「それにしても、場所によって黒く変色しているのは何故なの?
火事か何かで、焼け焦げたわけなのかな?」

『コケです』


    カンボジアは赤道に近い国であり、熱帯地方、つまり高温 多湿の特有の気候により 全土に渡り鬱蒼とした樹木がジャングルのように生い茂っている。時にそれは木々の成長過程において、 遺跡の巨大な石壁を割って 破壊する事さえある。



木々の成長は時に遺跡の破壊を助長する 木々の成長は時に遺跡の破壊を助長する



    苔が生えるのは気候柄、当然の成り行きという事か。差異があるのは、観光用に 表面を磨いた壁彫刻と、そうで無いモノの差、だけの事であった。 実際、各遺跡の壁面を 指で触ると、どこもかしこもヌルヌルした感触をしており、 おまけに石敷も苔除去が 未処理の部分はぬかるんで足場が悪く、雨に濡れた相乗もあり、既に 初日にして何回か苔のために滑ってしまっていたのだ。であるので経験則上、全くもって納得のいく応答だった。


「苔だけに、こけちゃいました!」

『・・・・』


ガイドは私の オヤジギャクに若干あきれ顔になった。



象の門 周壁の角 周壁



   周壁は中央の西塔門と、左右に延びる列柱廊と、さらに その先に階段差の 無い門が其々左右に1基ずつ存在する。象の門だ。額面通り、象を通す為の大きな開口門である。 更にそのまま進むと、赤茶けた剥き出しの砂岩だけの周壁が続き、420mで角に到達する。 つまり島を囲う高経のあるこの周壁だけで、南北840mあるわけだ。東西経は1030m にもなる。立派な防御城壁の用途も果していると言っていい。


   そろそろ、 周壁は観る箇所も無くなってきたので内部に進むことにした。西参道を渡り、第一回廊 到着までの行程に向かう。


DアンコールワットB
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