生きてる事が功名か


angkor wat


アンコールワット  西参道  Angkor wat




   かの景観は、一番アンコールワットらしさを、そしてカンボジアという ものを連想させる得る情景だといっていいだろう。 ガイド本やアンコール関係本の 紹介写真と云えば、大抵この西参道の、この場所からの アングルばかりである。


   回りの観光客も 、ここぞとばかりに熱心にシャッターをきっている。この中央の祀壇に続く 西参道は全長400mほど。真直ぐに伸びた石敷の通路は、両サイドに前庭を有し、 同様に経蔵を2基配置している。 前庭エリアには別途に沐浴用の聖池を設けているが、 雨季には全体で水嵩が上がりチョッとした池のような様相を呈する。なので、参道というよりは 環濠より繋がった石橋がそのまま延びている構造と捉えてよいだろう。



経蔵 経蔵 経蔵内部 経蔵内部



   こちらの西参道には欄干があり、両端にはナーガの頭が配置されている。従って、手摺部分は ナーガに腹部にあたる、という関係になる。 ナーガは蛇神であるが、存在の意味するところの舟を表しているという。 舟に乗って海を渡るという当時の形而上の意図から 推測するには、元々から水が張ることを想定して造築されたエリアなのかも しれない。アンコールワット寺院の建築年代は12世紀の初頭のことである。



欄干端のナーガ像 鏡像の尖塔



アンコールワット御来光


  水が張る事の現代的な利点の1つに、鏡面効果が挙げられるだろう。 恩恵を最も賜ることが出来るのが、早朝のアンコールワット御来光だ。 みなもに映る上下に対となった尖塔は 写真家達の格好の素材であり、この瞬間の為にみな 老若男女、三脚台とカメラ片手にこの場所に集合する。


アンコールワット御来光 アンコールワット御来光 アンコールワット御来光



  実際の場所は、中央参道より階段を降りた左の平地部分だ。そこから 中央祀壇の方向を見上げるかたちになる 。グッドアングルの成り立ちは、 祀壇が正確に真東に位置している事の恩恵もあるだろう。 定刻、そう毎朝5〜6時ともなれば、 水面の縁に大勢の人間が列を作って、その瞬間を待っている。


アンコールワット御来光 アンコールワット御来光


アンコールワット御来光ポイント  Angkor wat sunrise




  強烈な朝日が、 上下のキャンパスに2つの寺院を写映する。周囲からは思わず拍手が上がる 。しかし、 その後はシャッター音だけが黙々と響くのみだ。 「日の出という合図」と共にシアター開始の幕が切って落とされ、その 瞬間から刻々と日輪の位置とカンデラ度数は、無情なほどに変化していく。 1分1秒として同じショットが無いのだ。皆、食い入るように夢中になって レンズを覗き込むのみだ。


  遺跡が手付かずの状態であるというが、トイレやゴミ箱などは 併設してあるので安心していい。ただ、トイレは数が少ないので何所に あるのかは予め地図で確認しておきたい。暑いので、多量の水分をとり 必然的にトイレも近くなる。 トイレが併設されているような区画では、 土産屋がテントを張って商売をしている事が多い。木工のデバター像やシルクのスカーフ なんかが人気である。


ゴミ箱 トイレ みやげ屋


第一回廊

  西参道を渡り切ると、中央祀壇に上がる行程になる。各回廊ともに 段差を設けており、最初の第一回廊の入場口には底面より5mの高さがあり、 階段をよじ登ることになる。


まずは5mの段差を登る まずは5mの段差を登る



   最中央の尖塔と、両脇の尖塔、そして各回廊の縁に位置する尖塔の先端を 線で結ぶと綺麗な二等辺三角形になり、 寺院全体として平面的な対称性と同時に、さらに上下的な三次元の対象性をも 実現している。これはエジプトのピラミッドのような視覚効果をもたらし、 参詣している人間達を、同様の感慨として荘厳な気分にさせたに違いない。


  第一回廊の 玄関口は西参道テラスとよばれ、門前に4体の獅子像が構えている。


angkor wat 4体の獅子像


  第一回廊の見どころは、軍行記と神々の戦いを描いた壁面彫刻だ。 アンコールワット建設を命じた王、スルーヤヴァルマン二世の軍行の様子。そして、 ヴィシュヌ神と阿修羅の戦いを絵巻している。


乳海攪拌


   一番有名なのが「乳海攪拌」だろう。第一回廊の東南壁にある50mに及ぶ絵巻図だ。 不老不死の霊薬を作る為、88人の神々と85人の阿修羅が左右から 綱引きをして、その中央で ヴィシュヌ神が亀の上で音頭をとっている。 周囲では王や民衆が事の成り行きを見守っている。


   モーション的には、 ヴィシュヌ神を中心としてグルグルとフードカッターのように回転しているのだという。 この海を掻き混ぜる作業が1000年続いた。 海中の魚が切断され、海が 攪拌され、その結果から天女が飛び出し、 最終的に霊薬アムリタが得られたという。 引き合っている 綱はヴァースチという巨大な蛇 の胴体である。


「これは、ヘビーだぜ!」

『・・・・』


説明文 説明文


   古代インドの神々の闘いは、西面壁にも描かれている。ラーマーヤナは 20本の腕と10の頭を持つ魔王だ。猿軍団もいる。所々にクメール語の碑文が残されて 、絵巻の再現を手伝っている。


ラーマーヤナ 猿軍団 第一回廊 クメール語



  軍行の描写は、事実譚を元にしているのでリアル感がある。 寺院建築の王、スルーヤヴァルマン二世はベトナムのチャンパ軍と戦争をするために、 遠征に出向く。南西部に描かれた軍行記はこの時のものだ。


軍行記 軍行記


アンコールワット  第一回廊  Angkor wat



  勿論、壁彫刻だけが全てではない。天井全面にみえる花状紋は現在物は 完全に復元の板であるが、完成当時は紅に 塗られていた極色彩であったという。 名残りの赤色の色素が所々に残存していることが ある。中でも、十字回廊天井の花紋は有名だ。また、石壁の透かし彫りの緻密さにも目を奪われる。


第一回廊の天井 花状紋 透かし彫り



第二回廊

  屋根付きのアーチルーフと列柱で囲まれた、第一回廊を抜けると 第二回廊へと登る次壇が見える。 やはり急斜面であるという印象を受ける。 第一回廊の出口は東西南北に4箇所 あり、特に西参道から繋がる、いわば正門にあたる部分は 十字回廊と呼ばれている。並ぶ通路沿いは千体仏が並ぶプリア・ポアン区画でもある。


   そして、第一から第二をつなぐ 内部敷地には芝が生え、経蔵が2基配置されている。ワット内で最大の大きさの経蔵である。 祀壇内部にあって、庭園のような景観を実現している。訪れる人も少ない静寂感に包まれたエリアだ。


第一〜第二回廊間の経蔵 経蔵内部


アンコールワット  第一回廊から第二回廊 経蔵  Angkor wat



   ぐるりと1周まわってみよう。基礎工事といえる底部基壇は蛇腹のような段々上の石積 である事が判る。 刳型の各列には紋が刻んであり、それは、各寺院固有のもので其々に微妙に柄が 違うという。 段々の表面であるが、 垂直に尺があり、目の前にすると切立った壁のように感じる。


第一〜第二回廊間 第二回廊外壁


  国が興る以前の遺跡は、ただ土塁を盛って、その上に簡素な木材による 建物を建てただけだったという。当然、大雨や火の被害で消失したこともあるだろう。 カンボジア地方で、記録として最初に興る大国は扶南(ふなん:中国名)という。 1世紀頃のはなしで、メコン・デルタを中心に栄え、 河川を利用した海洋貿易で発展し、中国やインド、遠くローマとも交易があった。


  ラテライトの上に 砂岩を積むことにより、垂直方向に天高くつらぬく様な、堅固な造形物を製作できるようななった。 高経の建造物を造る技術は、今も昔も、権威や国力の主張であり、宗教であるなら強い啓示 力に成り得る。この素材の変革が、アンコールの一連の遺跡群を美しく荘厳なものに成し得た 成因の1つであるとも言える。 ちょうど、イムホテプが脆弱な日干しレンガから石を用いるように変えてから 、エジプトのピラミッドが以前よりも高さを増す事に成功し、さらに数千年に耐えうる頑丈な 造形物に成り得た事象に似ている。


  ラテライトは、多孔性の石材で鉄分を多く含み赤茶色をしている。 切り出したブロックを放置しておけば乾燥して、堅固さを増す。重い。そして、調達 が容易だった。熱帯地方では、ごく一般的な材質で地表を覆う石質の1/3が、これだと言われて いる。


  初めてラテライトを積んだ建築物はサンボール・プレイ・クックという史跡で、 年代的に7世紀頃である。前時代のクメール人が築いた真蝋(しんろう:中国名)という国 で、首都イシャナプラに在った。 今でも、遺跡に その片鱗が見られるという。


刳型の基底石と紋様 剥き出しのラテライト



  一方、砂岩はテラライトに比べ、色彩的に   灰色の重厚感があることから、 そして、何よりも硬度が低く加工し易く、孔の凹凸が無い分、リリーフの彫り が細密に行える所以で、絶好の表装石材として使われた。


   12世紀初頭の創建である、アンコールワット寺院はラテライトを積み、 更にその表装を砂岩による化粧石で覆った。 ワット、及びトムにも大量の砂岩が必要になっただろう。 熱帯地方では比較的手に入れやすい ラテライトであるが、では、砂岩はどこから運ばれてきたのだろうか? 近年の研究では、この地より東北方向に40kmにあるプノン・クレーンの 丘陵の石切り場ではないか、と推測されている。


  運搬に至っては、雨季の河川の増水を利用した。 これも、エジプトのナイル河の氾濫を利用したピラミッド製作過程に準える事実だ。 ナイル上流のアスワン地方から舟を利用し、 巨石を増水期にギザ台地の面前まで運搬した 方法と重なる。ここシュムリアップも、密林のど真中にあって 雨季における降水量は凄まじいものがある。 トレンサップ湖の増水では、遺跡が季節毎に完全に水に 飲み込まれ見学中止になる事態さえある。トレンサップ湖の民は今でも、 水上に家を建て、舟で移動し、日々の 生活を営んでいる。 国が違えば、習慣や考え方、ひいては建築方法も変わっていく。 巨石寺院建築という先人達の途方も、 自然の摂理に合わせ人類が 、考え、知恵を絞り、同調する結果の産物であるとも云えるだろう。


  表面の砂岩を含めた 石積みという包括的な作業が終わり、大寺院が完成したのち、神々のリリーフや壁面彫刻が描かれた。 その製作過程を時を越えた現代で知る事が出来るのが、第二回廊の外周部にあるデバターの下書きだ。


デバターの下書き デバターの下書き


   研究者の推測では、アンコールワットと同規模の寺院の建築に、 石工で3万、運搬に1万、美術担当者の図工や彫師が5千人など、総計10万人を 常動させ完成までに20年を費やした、としている。アンコールワット寺院は国の威信を 賭けた大プロジェクトであるので、人労の規模は更にその上をいくだろう。


  階段を上がり、テラスをくぐり第二回廊の内敷地に入ると完全な石敷の空間が広がり 、5本の聳え立つ尖塔を有する第三回廊の全貌が目に飛び込んで来る。 下壇からの連続性が無く、その5本だけ独立した造形物であるように錯覚してしまう。 須弥山を模したという、その巨石建造物は、回廊平面から見上げると一つの芸術品、そう 巨大な燭台の ように鎮座している。


  ガイドは私の袖を引いて、ある一画に誘った。第二回廊の各辺が 交わる 長方形の角の位置、その外壁部である。



第二回廊のデバター



『ここのデバター像からクルリと後を向いた角度が最高のアングル
5本の塔が全てカメラのワンフレームにおさまります』


  つづけて、デバター像の1つ1つを指し、

『綺麗な手でしょ。女はいつも細くて長い手足に憧れるものなの』


  乙女チックな心情を露呈し、当方も心打たれる始末。 改めて振り返ると、事実、5峰を冠した大山が迫ってくるような近写体だ。 ああ、これがクメール人が体現した宇宙の中心なのか、 と感動せずにはいられない。



第三回廊の全像


第二回廊のデバターと第三回廊の全像  Angkor wat




  入口までの階段は高さ13m、勾配は角度 70度近くある。見上げる先は、完全に険しい山の頂だ。 以前は急勾配の為、見学者が落下して大怪我を負ったという経緯があり、 また、調査と修復作業が行われていたので、近年まで入場は禁止されていた時期があった。 現在は、2010年より入場は可能になっている。 既存の石段は1辺に各3コ、計12ヶ所あるが現在は1ヶ所のみからで、 それ以外は柵が衝立してあり、出入りは出来なくなっている。


  列が出来上がっている1ヶ所だけ許された入場口、 ここでだけは例外的に手摺と専用の階段が存在している。第三回廊内部の収容人数 に限りがあるため、見学者は 十数人単位のグループで仕切られる。職員が上と下に常駐していて連絡を取り合い、 バランスがうまく取られた時期に 交代制でグループの上げ、下げを指示する。それまでは、ジッと我慢で列に並ぶしかない。 第三回廊入場は 人気はあるので待機 時間を要するが、TDLのように何十分も待たない。長くても10分程度だ。


入場口 階段は急勾配だ


EアンコールワットC
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