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バイヨン最外周の第一回廊(140×160m)があり、その上段に第二回廊 (70×80m)が、もう1周している構造である。16本の尖塔を有し、その 最中央部に高経43mの中心祠堂がある。表面を覆うように50面の大小様々な観音菩薩が造られ、 その1つ1つに微妙な表情の差異を出し、1つとして同じ笑みが無いという。 |
1181年にジャヤヴァルマン七世がアンコールトム建設を開始したが、 以降の王が3代つづいて延べ増建築を担った。当初、ジャヤヴァルマン七世は大乗仏教に帰依 していたが、のちの王はヒンドゥーに再び改宗したりと、彼らの意向で 途中から設計変更や改造が実行され、ワットに比べ設計上の画一を欠き、やや複雑な構造をしている。 文献で追求するに、地下回廊に相当する部屋も存在するようだ。 |
その他の特徴として、リリーフの彫り具合が 非常に深く立体感がある。入口の柱を通すまぐさ石も綺麗だ。 デザインは「カーラ」という時間を支配する古代インドの神である。 |
(ヒンドゥー)と(仏教)、其々異なる 宗教母体に基づいて創建された(アンコールワット)と(アンコールトム)。 根本的には、どちらも源泉として古代インドの宗教思想に基づいている ので、アンコールトムも同様に中心祀塔は須弥山を模しており、その場所は神々が降臨する 聖地であり、宇宙の中心を意味している。 東が正面であり、二つの聖池を有している。石が敷き詰められ、その昔は 王の謁見や正式な儀式、戦勝時の宴などが盛大に催された場所だった。 |
遺跡の 入口だけあり、観光客の多さは半端ではない。ワットの次に有名なアンコールトムの 中心部であり、また、大回りコースや小回りコースの 通過点でもあるので、バイヨン付近は時に車両渋滞も起すこともある。 |
ワットに比べ遺跡の損傷が大きく、四面仏の崩壊が目立つ。 綺麗に顔面がフル残存している人面は、観光客にとって絶好の写真撮影ポイントで、 チョッとした人だまりが形成されている。木製の柵越しの1塔がそれだ。 カンボジアの紙幣、200Rのデザインにもなっている個体だ。 撮影の時は、 人面石と向き合って顔と顔を合わせてKissする様に、 1枚写真として収めるのが粋な撮り方だそうだ。 |
付近は、民族衣装を纏った子供達と一緒に同期撮影できる サービスもある。 大きく羽を広げた緑色の格好をしているのは、孔雀を模したパイリンという舞装である。 王冠を被った 中央の少女が、腕や手の形を指導してくれる。 いい感じになった時、前で待機していた大人の職員がシャッターを切ってくれるという手筈だ。 合掌したり、クネクネと腕の関節を曲げる動き等、を教授してくれるが中々に難しい。 アプサラダンスの独特の動きを体現するポージングというわけだ。 心付けとして、1$ほどのチップが必要。 |
祀塔の最中央部には立位の仏像が安置され、塔の最上部は天に向かって 穿孔している。地元民の参詣の場になっており、火の点いた線香を渡された。 『さあ、線香をあげてってくだせぇ』 |
面白いものがある。「リンガとヨニ」だ。リンガは男性 器の象徴である。ヨニは女性器 ということになる。凸がリンガの造型、周りを囲っている四角の枠がヨニである。 ヨニ台は、その儀式の際に水を注ぎ潤滑にしたという。枠内の溝状構造は、その為の水路である。 |
第一回廊宗教的な色合いが濃いワットの回廊リリーフに比べ、アンコールトム の壁面彫刻は住民の暮らしや愛憎劇が生々しく描写されている。そんな 絵巻を再現しているのが、第一回廊である。上中下の三段に及ぶ大壁彫刻だ。 主にチャンパ軍との 闘いに遠征している時に様子を彫り込んだものが多い。 土着のクメール人に追従しているのが中国人兵である 。左がクメール人で右が中国人。描写に明らかな違いをもたせているのが面白い。 |
陸路では牛や馬、象に乗って行く。水路では舟を用いた。 |
当然、遠征は困難を伴った。決戦に赴く前に、命を落とす者も多かったに違いない。左は虎に喰われた者、 右はワニの描写だ。 |
軍行には兵士の家族も一緒に行ったのだろう、家財道具や子供の 彫りも存在している。また、祈祷や戦死した兵の家族が慟哭する様など、 生活に密着したリアルな 描写が多い。 『これを見てください。お尻に亀が噛み付いているでしょ 奥さんが、旦那に浮気をしないように印を入れているんです』 『コチラは敵兵にトドメを刺す瞬間です』 |
三段あるが正直、上の方はよく見えない。 また、何所にどんな物語があるのか、大まかな歴史の流れ等、 予備知識を付けてから見学した方がいいかもしれない。 大抵の市販アンコール関連本にはリリーフの説明が出ているので、通読してから 見学する方が楽しいだろう。 |
祀壇の周りをグルリと巡ってみると、やはり圧倒的な物量を感じた。 |