生きてる事が功名か

5日目の朝になった


筋肉痛

   目が醒め、ベットから降り立った瞬間だ。

「はうあっ!」

   自転車で1日100kmを走破する、健脚を自負する、この私が、 ここエジプトで何年来も経験してしてなかった強烈な筋肉痛に襲われたのだ。 その疼痛部も未知領域で腓というよりは寧ろ前脛骨筋、長内転筋、外側広筋あたりの 前面部の位置であり、一連の筋肉群が無慈悲なる悲鳴を上げていた。
   ドタリ、とベットから転がり落ち、フロアでのた打ち回る 、その叫び様は嗚咽というよりは慟哭に近い。

   取り敢えず朝食だけでも、と廊下に出で階段を下り始めた。 その時に気付いたのだ。 下降運動で連動している筋肉群に限って、その症状が現れている と云うことを。ピーン

「はっちゃけた!!」

   そう、各ピラミッドの内部入場での無理な体勢が、この症状を体現化 させていたのだ。思いの外、否、意外過ぎる程の結果だ。内部回廊を下るその時間といえば、 ほんの5分程度だろう。だが普段の生活では滅多に使って無かった、 眠っていたであろう小筋肉群が、 タカがこの程度の往来と想定していた浅い認識よりも遥かに過剰ともいえる 負荷力で、後々日に反応してみせたというのだ。フッと、ハマダのジジイが乗車前に忠告してくれた 事を思い出す。 ああ、成るほど、ジジイの危惧していた事象とは、このことだったのか・・・ その長年の経験と、先見は間違いなかったのだ!



きちんとした靴で行きましょう



   その上、調子に乗って砂漠の上をはしゃぎ廻った、その運動も 事象の一端を担うのだろう。ああ、彼の忠告を素直に聞き入れ、 靴での履行であればまた、多少なりともこの不本意なる応報を 回避出来たやもしれなかった。 今更に、己の無知さに怨嗟の、人外ぶりに寂寞の嘆を漏らす。


   もう1つ落胆に拍車が掛かる所以なるは、この筋肉痛が 中1日、いや小生恥かしながら中2日のタイムラグを措いて発現している事実なのだ。 お外で遊んだ、遠足に行った、そんな元気一杯の小学生達が翌日に直ぐ筋肉痛を感じる ような事は、もはや無い。我老いず、と益々さかんを独り心象するも、現実は 哀しいかな、その身体は既に半分ポンコツであり、ボチボチ枕廻りに加齢臭を漂わせる 始末・・・・嗚呼、とばかりに天を仰ぎ独唱する。

「今度の旅は、鉄道になるな。それも銀河鉄道999だ!」

   我ながら名案だ!と、ひとりでニヤニヤして 付近に居たホテルマン達を不気味がらせるのであった。結局、倦怠感もあって 大事をとって午前中はそのまま部屋で寝ることにした。



水道橋

   昼過ぎに、ホテル前からタクシーを拾った。メーター付きの タクシーで今度こそは、失敗しまい、と小銭も用意してある。運転手はファンキー なノリに饒舌さを漂わせる洒落たサングラスを掛けていた。クラスに1人は 居るというお調子者、といった風情だ。


「え〜っと、シタデルまで」
『アアン!?』


通じないようなので直接地図を見せ、その場所を指で示す。


『ブヒャヒャヒャヒャ、にーちゃん。ここはアルアだ!』


   どうやら、シタデル(citadel)という語句は一般に 英記による‘城塞’という意味で、観光客が想像する、またはガイド本に 紹介されている巨大建築は、アラブ語ではイル・アルアと呼称されているようだ。

   その道筋は、ギザ駅からさらに、東方向に至るマグラ・イル・ウユーン 通りを進み、サラーフ・サリーム通りを北に向かうものであった。 この一連の行程の途中には、通り右側に沿うように3km以上にも水道橋が延々と連なる。



水道橋 水道橋 水道橋


カイロ  水道橋   Cairo




   元々はローマ時代に建築の端を発しているが、現在のものは 14〜15世紀に造られたもの。私がムービーカメラを構えると、 車を減速してくれるドライバーの気の遣いようだ。 カイロの観光特化の運転手らしく、 色々な解説をしてくるお喋りマンだった。到着すると、料金は30£くらいだっただろうか、 私がサラリと紙幣を渡すと、またも満面の笑みを浮かべ


『ヘヘヘヘッ、ユーはjapaneseだろう?』
と、手の平を掲げ期待を込めたチップの要求ポーズだ・・・

これじゃ、メーターの意味が全くないだろう!
「ギャフン   ><」


   まあ、いいか。面白い奴だったのと、面倒臭いのもあって追加5£ を渡せば(※流しタクシーでは、交渉、メーター問わずチップを払う必要は全く有りません) 、降車時にお決まりの投げkissのジェスチャーだ。ふぅ、やれやれ。




entrance il-Qal'a entrance 城壁




カイロ市一望の大パノラマ

   ここは、サラディンが1176年に十字軍の防衛線として築いた 城塞が始りで、その後の時代もエジプトという国家の政治中枢を担った場所で、 広大な敷地内にはガーマ・ムハンマド・アリや軍事博物館、警察博物館などが 占め、共通入場券で様々な施設を好きなだけ観て廻れる。 イスラム世界史や中東情勢に 詳しい方なら1日を費やしても飽きない価値があるのだろう、総合的大建築物である。

   何よりもまず、敷地の先を進むと西方向にカイロ市内を一望できる大パノラマ ポイントに出逢える。これは圧巻だった!グルリと見渡せば、 イスラーム地区の無数のミナレット、そして発展を遂げ続ける新市街の高層ビル群、 そしてシンボルであるカイロタワーが一枚絵になって広がっている。 目を凝らせば遥か遠くにギザのピラミッドをも確認できる。 裸眼で5,0くらいの視力は必要になりそうな距離だ。



ticket シタデルのカイロパノラマ シタデルのカイロパノラマ シタデルのカイロパノラマ


カイロパノラマ  シタデル   Cairo CITADEL



   再び、城内に目を向ければ天を突くが如く、鬼の角 がの如くに、聳える2本の大ミナレット、とそこに鎮座する巨大なドームに目を奪われる。 ガーマ・ムハンマド・アリだ。


ガーマ・ムハンマド・アリ ガーマ・ムハンマド・アリ Minaret


ガーマ・ムハンマド・アリ  シタデル   Cairo CITADEL



   周囲を囲む石柱やステンドグラスもまた巨大だ。


ガーマ・ムハンマド・アリ ガーマ・ムハンマド・アリ ガーマ・ムハンマド・アリ ガーマ・ムハンマド・アリ


   1857年創建でイスタンブールのガーマに似せて造った。 母屋を東寄りに進むと入り口があり、 中庭には大きな沐浴台がある。大きさ、彫刻、内面装飾と別格で1つの芸術品だ。


entrance entrance ablution ablution ablution ablution


   そのまま、北口に入場すれば見た事もないくらいの巨大シャンデリアが ぶら下っている。高い高い天井の四隅には 4代の正統後継カリフ、即ち(アブーバルク、オマル、ウスマン、アリ)の名が刻んで あるという。


welcome! chandelier chandelier 4大カリフ ミンバル 石柱


ガーマ・ムハンマド・アリ2  シタデル   Cairo CITADEL




握手は右手で!

   ちなみにトイレのはなし。外国観光客の頻用するホテル なら水洗便座式が一般だが、アラブでの旧タイプトイレだと下記ような形で、しゃがむ 態勢は逆ポジション状態、つまりは尻を壁に向ける格好になる。この後、ホース で水を流し、拭いた左手を備え空缶で洗浄する、という。従って アラブ界では不浄とされる左手を用いて握手してはいけない、らしい。と、いう 事実を帰国後にガイド本で読みました。

「ギャフン   ><」


トイレ 逆ポジション


   北方向に向かって砲台が構えている。付近はかつてトプハーネと呼ばれる 大砲工場があったようだ。この広場を横切れば軍事博物館に至る。


砲台 砲台

QシタデルB

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