生きてる事が功名か


リカヴィトスの丘



リカヴィトスの丘

   リカヴィトスの丘の 高経は247mあり、その外観は美しい末広がりの形態を している。麓から頂上までケーブルカーが出ているようだが、 歩道も整備されている。そんなにキツイ行程はないので、 成人男子の脚力なら15分程度の時間で登頂できる。


   地理的に アテネ市街の北から、(リカヴィトスの丘)(アクロポリスの丘) (フィロパポスの丘)と連なりアテネ3大丘 として有名だ。上記の写真はアクロポリスの丘に ある展望台から、東方向に向いて撮ったアングルの写真になる 。ちなみに、左側に見える小さな丘が(※北後方の大きな禿げ山でない、) ストレフィの丘と呼ばれるものになる。国立考古学博物館の裏辺りに位置している 、ごく小さな丘だ。


   リカヴィトス丘の 最寄駅は、地下鉄「エヴァンゲリスモ駅」になる。シンタグマのすぐ隣の駅だ。 案内板に従い北に進路を取り、ケーブルカーの入り口を探す。しかし、 地図に示された場所にどうしても入口が見つからなかった。この付近に あるのは確かなのだが・・・


エヴァンゲリスモ駅 周辺地図



    ふらふらと困り果てた表情で地図片手に 彷徨っていると、見るに見かねた近所のママさんが、彼女の小さい 子供の手を取りながらも、 私の近くまで寄ってきて、親切に入り口までの行程順を英語で説明してくれた。


丘までの標識 丘までの坂道





『そのファースト角を右に折れて、 その後、十字路を左にお往きなさい』


「あっ、どうも・・・」





入口付近は住宅街 入口付近は住宅街



   それでも、どうしても見つからない。どうやら後々知ったのだが、 ケーブルカーといっても地下を走る車両らしく、空を見上げながらケーブルを手掛かりに 探し追っていた私のイメージ思考能力の範疇で あるなら、この行動では、余計に難しかったようだった。


    探しながらもフラフラと山道を上っていたら、いつの間にか 頂上に着いていた。ジグザグの石段が続いていたら、それが正解道だ。


山道 ジグザグの石段 ジグザグの石段 アーチ門



   南国を思わせる 真っ白なアーチ門をくぐれば、そこが頂上になる。




「到着!」




   あたりを見渡してみるも、朝一番にこんな頂上に来る暇人は私しか 居ないようだ。頂上では、おばちゃんが朝から忙しそうに ホウキで掃除をしている。 鐘塔の脇に教会があって、 青と白を基調としたストライプ柄のギリシャ国旗が、微風にパタパタと揺れている 光景が目に入った。


   <ギリシャの空は深く青い> この国の 国旗が、白地の上に青色を選択した所以は何処から来ているのか? とギリシャ国民に訊ねれば、それは、もちろん空の青さ、そしてエーゲ海の 青さからきているのだ、と即答が返ってくるだろう。




頂上 頂上


リカヴィトスの丘 頂上 展望台




「気持ちいいな〜」




    汗ばんだ頬を駆ける風はどこまでも乾き切って嫌味が無く、そして、 湿っぽさを風解してくれた。 ネコが気持ち良さそうに昼寝をしていた。この丘は、 ほとんど展望台のような用途の丘なのだろう。望遠鏡も併設してあった。成る程に 、頑張って登った分だけ、パノラマに広がるアテネ市街の全景は 他の丘に負けず劣らず素晴らしいものだ。 ここは是非、とばかりにシャッターを 押しまくる小市民劇場の開始時間だ。


ネコ 望遠鏡 カフェテラスもある



   南方向にはアテネ市街の中心地があり、アクロポリスの丘が見える。 下記写真の、左からゼウス神殿、中がアクロポリスの丘と奥にピレウス港の内湾 が写る写真、

   更に右の画像が、西寄りに視線を移して、 1/4反転くらい身を回転させ撮った写真で、中央の緑色の茂みが 「ストレフィの丘」になる。


ゼウス神殿 アクロポリスの丘 ストレフィの丘





「ふう、楽しかった」





   ボチボチする事が無くなったので、そろそろ下山するか。 視線を移すと猫がアクビをしている。 下山の前に、 少しネコと じゃれて遊ぼうとかと背中を撫でると、好感触にゴロゴロと喉を鳴らして指先に 甘えてきた。色んな観光客に可愛がられ人間慣れした猫で、 教会の愛されキャラ的存在らしい。 う〜ん、カルカンでも有ればよかったのだが・・・


ネコ ネコ ネコ





「それにしても、ギリシャはネコが多いな」






独り言をブツブツ唱えネコと遊んでいると、突然、背後から 声が響く。





『ΚΑΛΗΜΕΡΑ(カリメーラ!)』






   誰だ?とばかりに振り返ると、そこには10代後半と思しき 美少女が立っていた。パンツルックに、そこから伸びた 長い素足と、足先は若者好みの派手目なジョギングシューズが確認できる。 首からタオルを巻いて、肩までの長さはあるだろう金髪は白のバンダナで くくり付けられている。その微笑んだ目は ギリシャの大空を連想させる様な真っ青な碧眼だ。


    基本的にギリシャ人は漏れなく美人ばかりだ(中年になると、肥えて皆な同じに見えるが。 )そして、スタイルが抜群にいい。 長い脚と高い座高は、人間を半分に折り曲げたら絵本の扉絵のような二つ折りが 実現するのではないのか?なんて、思わせる骨格振りであり、そんな彼女等が ホットパンツに素足のままサンダル、上着はタンクトップという、 あられもない姿で街を闊歩するので、こちらとしては思わず目のやり場に困って しまう。そしてまた、ここに立っている少女も間違いなく同様に 非常に美人だった。





「はうあっ!・・・かっ、かっ、かかか・・かり、かり、かり、カリメロ!
・・・・・・・じゃなくて、カリメーラ!」





   どうも、市街地中心部の観光地では殆ど英語で通じてしまう 為、この日の朝までギリシャ語というものを一言も発してなかった。 ΚΑΛΗΜΕΡΑ(カリメーラ)とは、いわゆる GOOD MORNING。おはよう!という意味だ。


   この丘の 界隈はアテネ最中心部より少し北方向の 離れに位置し、その土地柄としては一般の住宅地としての 役割が大きいらしい。 なので、標高247mの丘といえば、 近所の住民の格好のジョギングコースになっているのだろう。


    また、彼女があまりにも綺麗なのでたじろいてしまった事と、また、英検4級 保持者の私では、当然、ギリシャの「ギの字」を理解する事も、話す事も 短期では無理であろうと端から諦め、全くの語学ノー ガード戦法のままアテネの土を踏むに至って いたので、 まともに返答する間も無いまま、





『ウフフ・・・・Bye!』





   ニコリ、と笑いながら彼女は一言発して 坂を駆けて降りて去ってしまった。一陣の爽やかな風が吹き、妙に感傷的な気分になって しまった。 せめて、名前くらい聞いておきたかったなぁ。 いや、写真くらい・・。いや、・・・・。ほろ苦い眉をひそませる。 最低限の会話でも成り立て るくらいは、もっと歩き方後半頁を熟読しておくべきだった・・・ この時くらい、ギリシャ 語を勉強しておけばよかった、と痛感する瞬間は無かった。





   アテネ観光にあたり アクロポリスの丘周辺やプラカ地区なら、会話は英語のみで全て 事足りる。挨拶も「カリメーラ」だけ 覚えておけば問題ないだろう。チョッと見慣れない所で見かける現地語として 上げれば、 地下鉄に乗る際、 切符自販機において時間区分の説明でギリシャ語が表記される。


ΩΡΕΣ                      1 時間


   また、道路標識がギリシャ語のみ場合も偶にある。                    


ΑΘΗΝΑ                                  アテネ


ΑΚΡΟΠΟΛΙΣ                    アクロポリス


ΠΕΙΡΑΙΑ                            ピレウス


ΑΕΡΟΔΡΟΜΙΟ                     空港




1,5時間 アクロポリス博物館 ピレウス 空港へ



フィロパポスの丘方面の史跡


   丘を下りて、今度は アテネの3大丘陵の残り1つも登ってみることにした。アクロポリスの丘を 挟んだ南にある「フィロパポスの丘」だ。 ディオニシウ・アレオパギトゥ通り(アクロポリ駅からの緩やかな登り坂)の 果てにある五差路を西方向の道に登っていく。


   五差路付近は、バスの巡回地点になっており坂から 上ってきた車両がUターンするポイントに使われているので、観光客の密集度 がかなり大きい。小さな売店と、バス停が目印だ。その間にある 登り坂を入っていくのが、頂上への行程になる。 途中には『ソクラテスの牢獄』がある。


五差路 案内板



   石敷坂の左側に案内板が出ており、側道に誘導させるように なっている。そのまま、その土道を2〜3分くらい歩くと牢獄に到着する。



ソクラテスの牢獄 ソクラテスの牢獄


ソクラテスの牢獄  アテネ  SOCRATES PRISON




   3部屋あり、前には鉄格子が衝立してあり内部の 入場はできない。構造は右の部屋が奥に一つ分大きいという構成。 過去、本当にソクラテスが収監されたかどうかは不明とのこと。



ソクラテスの牢獄 ソクラテスの牢獄 右の部屋




    ソクラテスはアテネの哲学者であり、言わずと知れたギリシャ三哲人の一人だ。 夏冬と一年と通し素足で歩き、キトンと呼ばれる布一枚だけの簡素な衣装で過ごした。 頭は禿げ上がり、ギラついた目付きで周囲を威嚇しながらアテネの街を 闊歩し、高官や知識人に舌戦を 挑んでは、言い負かすのが趣味であった。 ソクラテスの妻、クサンティッペは悪妻の代名詞。



『君がよい妻を持てば幸福になるだろうし、
君が悪い妻を持つならば哲学者になれるだろう』


死刑か国賓待遇か


ソクラテス ソクラテス


   前399年、神々を冒涜し青少年を堕落に導いたとして告発 され、裁判にかけられた。判決は、民主政治の具現というべき 陪審員に委ねられた。議席数は501であったいう。 水時計が切れるまで、老翁は国に尽力した労を訴え続けた。結果、 決は過半数を僅かに超えた 281で有罪が確定。裁判はこれで終わらず、今度は被告に対する処罰の求刑と、 最終的な陪審員の決を 取る順になった。原告はソクラテスに死刑を求刑。



被告のソクラテスはこの際、言い放った。
『求刑じゃと?・・・国賓待遇を希望する!』




    余計な煽りにより、361票と 逆にマイナス票が増える結果となって終了した。 古代ギリシャの裁判では、この時点で国外追放を自ら望んで、最悪の死刑判決を免れるのが通例であった。 が、ソクラテスは敢えて信念を貫き、その後、毒人参の杯を飲み干し果てた。 享年70


    彼の死刑は、情動に煽られた民衆が起す衆愚政治の権化、 自由主義の成れの果てだとして、 社会主義側が民主政治を批判する格好の揶揄材料となった。



   この死に向かう直前までの、対話形式の 再現書が弟子プラトンが記した『ソクラテスの弁明』だ。プラトンは アテネで生まれたが、幼少の頃の彼の家庭教師がアルゴス出身のレスラーであった。 この為、青年期までレスリングに夢中で体格も良かったようだ。 プラトンとは、古代ギリシャ語で「肩幅の広い男」をさすのだという。 かなりのレスリング馬鹿で、 晩年の言葉は




『レスリングを疎かにしてはならない!
教える者は親切に教え、 学ぶ者は 感謝を持って臨むように!』 だった。




アルゴス プラトン




   プラトンの、さらに弟子がアリストテレスになる。 アリストテレスはアレキサンドロス大王の家庭教師でもあった。 哲学を体系的にまとめ記した、最高の哲人であると称され古代ギリシャから 現代に至るまで、最大級の賛美を浴び続けている。 中でも、政治学について記した『アテナイ人の国政』は、前7世紀〜前5世紀ころ、 古典期における民主政治と、アテネの国内情勢を克明に 知り得る、超一級品の史料ととなっている。





キモンの墓

   フィロパポスの丘は、 土地の利を生かした様々な史跡がある。主に岩窟を利用した墓や風呂等が多い。 ペリクレスの先代のポリス「アテネ」の市長である、キモンの墓もある。 古典期の最盛50年の間の立役者として、前半がこのキモンであり、後半がペリクレス であるという。 当時から、キモンは市民に絶大な人気があった。


キモンの墓 キモンの墓



   歴代の市長の殆どが将軍経験者であり、軍事行動の 卓越さを求められていた。彼の場合、対ペルシャにおける 遠征を何回も成功させており、 また、遠征で勝った戦利品から数々の公共事業に出資している事で 市民に絶大な人気があった。 アクロポリスの丘でいえば「キモンの南壁」を造り、従来の岩壁から 延展して更に強固な岩壁を再建している。


    民衆の人気が下がると直ぐ役職から引きずり降ろされる 当時のアテネ民主政治において、在位二十年とは異例の長さであったという。 のちのペリクレス栄光の時代への下地を作った、 陰の大人物であるとも言われている。


キモンの墓 キモンの墓


キモンの墓  アテネ  KIMON'S TOMB




   丘をさらに道に続けば、頂上に到達する。 時間にして20〜30分くらいか。最上部に 記念碑が建っている。ローマ時代の執政官だったシリア王子の フィロパポスを祀った碑だ。存命中、アテネの為に尽力した事から、 後の世に民衆が感謝を込めて立てたという碑。


頂上への道 記念碑



   北はアクロポリスの丘が良く見える。 反対の南方向には、ピレウス港と市街地が遠望できる。約10km先まで直線道路 が続いているのがわかる。下記の右画像の直線道路は 方位的に、 中央の数本がかつて在った ファレロンの壁を、右の太い1本がアテネの長壁を、それぞれに 道標とした道筋ではないかと思われる。


北方向 南方向


フィロパポスの丘頂上 アテネ市パノラマ  FILOPAPOU HILL




   丘にはまだ岩を利用した様々な建造物が散在している。 (seven seats plateau) もその一つだ。一枚岩に7席の座椅子を模した 窪みが彫ってある史跡だ。実際に各席は、尻がスッポり入るくらいの規格 の深さがある。


seven seats plateau seven seats plateau



    ゼウスとムネモシュネの間に9人の子供が出来た。 彼等を総称してミューズといい、主に音楽や演劇、文学や天文など芸術全般を司る 神々として崇められていた。彼等の 活動の中心点が、この(seven seats plateau)であったという。 9人の女神達 は、この場所で様々な談義を交わした事だろう。ちなみに、ミューズ から派生した語句には、ミュージック、アミューズメント、ミュージアムがある。 いずれも芸術に関する言葉である。


seven seats plateau seven seats plateau



   9人の中の一人にメルポメネという、悲劇や挽歌を 司る女神がいる。彼女の子供がセーレーン達である。セーレーンは 半身半鳥の姿で海を流離い、人間の航行する船に近付いては誘惑の美声で歌った。 その歌を聴いたものは、あまりの美しさに心を奪われた挙句に、 舵を誤り船を難破させて しまうのだという。 英雄オデッセウスの帰還を遅滞させたくだりは有名だ。


siren siren siren



    その脇には、『聾唖の洞窟』と呼ばれる岩窟住居がある。 前4世紀頃に始まり、ローマ期に拡大された。その昔は、本当に中で生活を していた。


聾唖の洞窟 聾唖の洞窟 聾唖の洞窟



   丘には色んな小路が巡っている。地図を片手に 歩いても方向音痴の私は、とんでもない場所や出口に行き着いたりした ものだった。ただ、高経の木々は少なく遮蔽物も無いので、昼間なら 見晴らしだけは良く、堂々巡りに同じ場所を何周もする様な嫌な迷い方はしない。


   ドーラ・ストラトゥ・シアターも、そんな適当な散索で 辿り着いた場所だ。ギリシャの民族舞踊の野外劇場であり、営業は夜間のみ で、900人収容が可能とのこと。


道標 入口



    夜間、どっぷりと日が落ちた時間に開演する。付近の街灯が 極端に少ないので、もし、観てみたい場合は 足元注意の為に懐中電灯の持参も 考慮した方がいいかもしれない。


グリークダンス ドーラ・ストラトゥ・シアター



    フィロパポスの丘の北側には、更に小丘が2つ分続く。 プニクスの丘〜ニンフの丘であり、 これらを越え麓まで行くと、 最終的には地下鉄「テセイオン駅」の前まで辿り着く。


プニクスの丘 プニクスの丘 アクロポリスの丘



    プニクスの丘は、アテネの市民集会が定期的に催れた場所だ。 壇上に上がり演説を行ったり、政治議論を交わした場所で、 アテネ民主政治発祥の地といわれている。 かなり広く、 見晴らしがよかった。


演説壇 演説壇


プニクスの丘  アテネ  Pnyx Hill




    半円形の 岩壁、 中央には石段があり壇上で六千人の民衆の前にして、 雄弁家や市長が演説を行った。縁際には ゼウスの像を安置する壁龕もある。


ゼウスの壁龕 アポストル・パヴルウ通りのタベルナ



   そのまま、アポストル・パヴルウ通りの坂を下れば 「テセイオン駅」の前まで出る。 この大通り自体は、 石敷の歩行者天国であり、直線状の一本道が駅とアクロポリスの入場口まで 繋いでいるだけ構成なので、初見でも迷うこと無く歩ける道になっている。 通り沿いには比較的混雑の少ないタベルナも点在している。 テセイオン駅からゆっくり上り、右手の小丘を仰ぎ見ながら、 アクロポリスの丘へと至るコースも 、迷わず歩ける観光客に優しいオススメコースの1つだ。


テセイオン駅前広場 テセウス像 テセウス像


    テセイオン駅前の公園広場に、「テセウス像」がある。テセウスは クレタ島の迷宮ラヴィリントスのミノタウロスを倒した男だ。血統的には ポセイドンの子供にあたる。 一度入れば出られないと悪名名高い迷宮に、顔だけ牛で下半身が人間という半身半牛 の巨大なバケモノがいるという。 功名心から、そいつを倒してやろうと単身クレタ島にのり込んだ。


   クレタ島のミノス王の娘、アリアドネが彼に 恋をしていまい、テセウスの身を案じ 迷宮で彷徨わないようにと糸玉を渡した。 テセウスは、これを迷宮の入口にくくり付け 入場し、ミノタウロスを退治した後、糸を手繰って無事戻ってこれた という。


ミノタウロス像 ミノタウロス像



   上記のミノタウロス像は 前5世紀頃の彫刻家 ミュロンの作で、国立考古学博物館で展示してある。



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